東京都の生まれ。本名・小川幹弘。父は、歌舞伎俳優・三世中村時蔵の三男で初代中村獅童を名乗った元歌舞伎俳優、のち東映プロデューサーの小川三喜雄。俳優の萬屋錦之介と中村嘉葎雄は叔父にあたる。6歳から日舞の稽古を始め、1981年、8歳で歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』のおひろ役にて初舞台を踏み、二代目中村獅童を襲名。この時点で父はすでに俳優を引退していたため、歌舞伎役者としての後ろ盾を持たない状態でのデビューだったが、母・陽子が楽屋の支度などをつとめ、幼い獅童を支えた。83年には歌舞伎座『春日局』の竹千代役で松竹社長賞を受賞。中学時代からロックに熱中し、日本大学芸術学部演劇学科に入学後もアマチュアバンドで活動するが、19歳で再び歌舞伎の道を目指す。下積み期間を経て、『狐狸狐狸ばなし』96のおそめ役で歌舞伎座賞、翌97年の『歌舞伎の見方』解説にて国立劇場特別賞を受賞。その後、歌舞伎俳優としての活動と並行して、演出家・野田秀樹や劇団大人計画のオーディションを受けるが、落選が続く。しかし2002年、曽利文彦監督「ピンポン」の準主役である“ドラゴン”役を射止める。窪塚洋介扮する主人公・ペコの強力なライバルの複雑な心理までを掘り下げて、主役を食うほどの強烈な印象を残し、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞、ゴールデンアロー賞などの各新人賞を受賞。これに勢いづいて、翌03年の新春浅草歌舞伎『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』にて初の主演もつとめ、森田芳光監督「阿修羅のごとく」03の助演を経て、04年の奥秀太郎監督「赤線」では映画初主演も果たす。竹内結子とW主演した土井裕泰監督「いま、会いにゆきます」04は大ヒットとなり、翌05年に実生活でも竹内と結婚、一男をもうけるが08年に離婚した。以降は、ロニー・ユー監督「SPIRIT」06、クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」06、ジョン・ウー監督「レッドクリフ」08・09など海外の監督からのオファーも相次ぎ、歌舞伎の枠を超えた国際派俳優として幅広い活躍を見せている。