叔母に連れられて13歳の時に見た「キング・コング」で特撮に興味を抱く。大学で美術と編集を学び、第二次大戦後童話を元とした人形アニメーション・シリーズを製作。1947年に「キング・コング」の特撮監督だったウィリス・オブライエンに呼ばれ「猿人ジョー・ヤング」にアニメーターとして参加する。1953年「原子怪獣現わる」で一本立ちし、以後「水爆と深海の怪物」(1955)「地球まで二十万マイル」(1957)などに参加した。1959年の「シンドバッド7回目の冒険(シンバッド七回目の航海)」では、そのストップ・モーション・アニメーション技術を“ダイナメーション”として売り出し、ハリーハウゼンの名前を世界に広めることとなった。その後も「巨大生物の島」(1961)「アルゴ探検隊の大冒険」(1963)「恐竜100万年」(1966)「シンドバッド 黄金の航海」(1973)「タイタンの戦い」(1981)などで特撮技術を遺憾なく発揮した。1992年には長年の功績によりアカデミー特別賞を受賞。2013年5月7日イギリス・ロンドンで死去。