【作家性と商業性を兼ね備えた韓国映画界の若き巨匠】韓国、ソウルの生まれ。延世大学社会学科に進学し、在学中より自主映画を作り始める。16ミリの短編映画「白色人」(94)がシニョン青少年映画祭で奨励賞を受賞したのを機に、本格的に映画製作を学ぶため韓国国立映画アカデミーに入学。プロの映画人を養成すべく設立されたこの教育機関で1年間学び、卒業制作「支離滅裂」(95)が学生映画としては異例のバンクーバー国際映画祭、香港国際映画祭に招待された。11期生としてアカデミー卒業後は映画脚本家から活動を開始し、「ビールが恋人よりいい7つの理由」(96・日本未公開)、「モーテル・カクタス」(97)、「ユリョン」(99)の脚本に参加。そして2001年に「ほえる犬は嚙まない」で長編映画デビューを飾る団地内で起きた子犬失踪事件の顛末をシニカルに描き、香港映画祭の国際批評家連盟賞をはじめ海外の映画祭や評論家から高く評価されるも、興行的には惨敗。その失敗を糧に第2作「殺人の追憶」(03)を発表する。80年代に起きた実際の未解決事件を題材に、当時の韓国社会の歪みを描いた同作はその年最大のヒットを記録し、国内の映画賞を総なめにした。続く3作目「グエムル・漢江の怪物」(06)では、韓国映画史で前例の少ない怪獣映画に挑戦し、韓国歴代動員史上第1位を記録。これにより、興行的にも評価的にも国内でもっとも期待される監督となった。09年には「母なる証明」を発表。長篇作では「殺人の追憶」から連続してキネマ旬報ベスト・テンの2位・3位・2位と入選を果たしている。【社会と個人の関係を描く】「八月のクリスマス」(98)のホ・ジノ、「シュリ」(99)のカン・ジェギュなどに並んで90年代に韓国映画を作新した、いわゆる“386世代”の最若手に属する。鋭い社会意識と乾いたユーモアを提示すると同時に大衆性も兼ね備え、評論家と一般観客の両方から支持、「殺人の追憶」の際には“韓国の黒澤明”と称された。その完璧主義の演出は「ポンテール(ディテールのもじり)」とも呼ばれ、自作の絵コンテにもとづく画面作りには、しばしば漫画的なセンスが見られる。ブラックコメディ、実録犯罪、怪獣パニックなど作品ごとに異なるジャンルに挑戦しつつも、いずれもジャンル的なパターンには収まらない独自の映画へと昇華。その顕著な例が“母性”を猛々しく描いた「母なる証明」と言える。また、初期の頃からの共通するテーマとして“社会対個人”がある。「ほえる犬は?まない」では団地、「殺人の追憶」と「母なる証明」では田舎町、「グエムル」では漢江、オムニバス作品「TOKYO!」(08)での東京の街といった具合に、ある限定された空間を舞台に、そこから発生する人間関係という設定を好んで用い、現実社会を落とし込んだ物語づくりを得意とする。世界三大映画祭での受賞歴こそないものの、キム・ギドク、パク・チャヌクと並んで世界的な知名度を持つ韓国人監督のひとりであり、すでにして若き巨匠の風格を漂わせている。