【集団劇の人情コメディを得意とするエースディレクター】広島県広島市の生まれ。広島市立舟入高校在学中はバレーボールに熱中し、全国大会にも出場した。日本大学芸術学部演劇学科を卒業後、1981年に日本テレビに入社。テレビドラマ『池中玄太80キロ』(80)などでADをつとめたのち、28歳の時にディレクターとしてデビューした。明石家さんまと組んだ一連のラブコメディ『恋も2度目なら』(96)、『恋のバカンス』(97)、『甘い生活。』(99)のチーフ演出等で注目を集め、多彩なジャンルのドラマを手がけつつ、『奇跡のロマンス』(96)、『お熱いのがお好き?』(98)など主に集団劇のホームコメディを得意とした。これらと並行してドラマのプロデュース業も兼務。舞台演出等も手がけるなどして、日本テレビのエースディレクターの座についた。その後、映画事業部に異動し映画のプロデュースとテレビドラマの演出を並行して手がけていたが、2006年の「花田少年史・幽霊と秘密のトンネル」で映画監督デビュー。幽霊と会話ができるようになってしまった少年の身にふりかかるひと夏の騒動を、手堅い演出でまとめてみせた。以後もドラマと並行してコンスタントに映画を撮り続け、03年の連続ドラマ『ぼくの魔法使い』でも組んだ脚本家・宮藤官九郎とのコンビによる「舞妓Haaaan!!!」(07)、「なくもんか」(09)では、宮藤独特のコメディセンスに対抗する人情味を加味。その一方で災害パニック大作「252・生存者あり」(08)も手がけるなど活躍を続けている。【人間観察力に優れた堅実な手腕】2000年代に入って急増する一方の、テレビディレクター出身で映画とドラマを往来する監督のひとり。そんななかでも、民放キー局の社員という立場で映画を撮り続ける環境にあるディレクターは決して多くはないが、なおかつテレビドラマの劇場版ではなく、映画オリジナルの企画を順調に撮り続けている水田のような存在は、さらに希少である。劇場デビュー作の「花田少年史」はいわゆるウェルメイドな少年の冒険譚で、良くも悪くもテレビディレクターの堅実な演出手腕が発揮された作品となった。一作ごとに振れ幅が大きく見える以後の作品歴も、堅実さゆえの作家性の乏しさと見られかねない点もある。それはシリアスからコメディまで、あるいは俳優の個性や脚本の筆致に因ってさまざまな見え方をするドラマ演出作品の多様さにも通じるものだが、中でもやはり水田のセンスが際立つのは、集団劇のホームコメディと、そこに加えられる“人間観察力”にほかならない。宮藤官九郎が信頼を寄せる演出家として水田の名を挙げることもそれと無縁ではなく、トリッキーな展開と人情話がやや乖離して見えた「舞妓Haaaan!!!」を経た「なくもんか」で、水田の映画監督としての資質がようやく十二分に発揮されたと言えるだろう。