【卓越した映像センスで魅了するインディーズ界のカリスマ】アメリカ、オハイオ州アクロンの生まれ。17歳で作家を志しコロンビア大学文学部に入学。1974年のパリ遊学時にシネマテークでロベール・ブレッソン、ジャン=リュック・ゴダール、溝口健二、小津安二郎などの作品に接して映画に目覚める。75年にニューヨーク大学大学院映画学科に進学してニコラス・レイの講義助手をつとめた。レイの「ニックス・ムービー/水上の稲妻」(80)の製作スタッフに参加した際、共同監督だったヴィム・ヴェンダースと知り合い、その頃結成したロックバンド“デル・ビザンティンス”がヴェンダースの「ことの次第」(81)に楽曲提供している。音楽家ジョン・ルーリーなどと共同作業した卒業制作「パーマネント・バケーション」(80)は低予算の16ミリ作品だったが、マンハイム映画祭でジョゼフ・フォン・スタンバーグ賞を受賞した。82年にヴェンダースから貰った余りフィルムで30分の短編として仕上げた「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の第1部が、ロッテルダム映画祭の批評家賞を受賞。製作費を得て長編として完成したのは2年後の84年で、カンヌ映画祭パルムドールを獲得した。その後も永瀬正敏と工藤夕貴が出演した「ミステリー・トレイン」(89)、異色西部劇の「デッドマン」(95)、ニール・ヤングのドキュメント「イヤー・オブ・ザ・ホース」(97)などコンスタントに作品を発表している。2005年の「ブロークン・フラワーズ」はカンヌ映画祭審査員特別大賞を受賞。同世代のインディーズ監督たちとも親交があり、アキ・カウリスマキ「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」(89)、ビリー・ボブ・ソーントン「スリング・ブレイド」(96)などに俳優としてゲスト出演している。【オフビートな新感覚でファンを獲得】インディペンデント映画の祖とされるジョン・カサヴェテスの系譜に連なり、80年代にジョン・セイルズらと並んでニューヨーク・インディーズ派の新進監督と目された。彼ら以降に、映画学校で学び映画祭で世界デビューという、現場経験を持たないまま監督として認知される道が常套化する。その先駆である「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、粗いモノクロ画質、長回しのワンショットを黒味で.いで余韻を残す技法、劇的展開のないストーリー、オフビートなユーモアの中に漂う虚無感、などの新感覚が世界中に衝撃を与えた。この3部からなるオムニバス的構成は、その後「ミステリー・トレイン」や「ナイト・オン・ザ・プラネット」(91)の、異なる場所で同時発生する複数の物語という時系列解体の話法に進化し、タランティーノ時代の流行に先鞭をつけた。またデビュー作から一貫してロードムービーの体裁をとって、異邦人または異文化とのディスコミュニケーションをオフビートに描き、最新作「リミッツ・オブ・コントロール」(08)に至るまでこの特質は守られている。