【B級映画の帝王は10セントも損をしない】アメリカの映画監督・製作者で、フルネームはロジャー・ウィリアム・コーマン。ミシガン州デトロイトに生まれ、ハリウッド近郊に転居した高校時代に映画に耽溺。兵役を経た大学卒業後も、兵役特権を利用して英国オックスフォード大学に学び、帰国してからは職を転々とした。自主的に書いた脚本がアライド・アーチスト社に売れて映画界入り、1954年にロジャー・コーマン・プロを設立する。55年、ARC(AIPの前身)と契約し西部劇「ファイブ・ガン/あらくれ五人拳銃」で監督デビュー。以来、AIPを中心に独立プロデューサーの立場で西部劇、SF、ホラー、不良少年ものなど低予算のジャンル映画を多数製作し、その中の何本かを監督していく。60年代には「アッシャー家の惨劇」(60)を手始めにエドガー・アラン・ポーの怪奇小説を連続して映画化し、作家としての力量も認められた。「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」(60)は当時の代表作である。60年代後半には「ワイルド・エンジェル」(66)、「白昼の幻想」(67) などの若者向け映画でも力量を発揮。しかしやがてプロデュース業に活動を絞り、71年の「レッド・バロン」を最後に監督引退を宣言、ニュー・ワールド社を設立してやはり低予算映画を量産した。【新世代監督たちの陰なる父】AIPの作品群は主にドライブイン・シアターに配給されるエクスプロイテーション映画であり、メジャーが添え物作品として作ったB級映画とは趣を違える。インディーズ映画の先駆者ともされる背景には、こうした興行形態の変化があった。作品内容は大衆向けに徹し、初期の「原子怪獣と裸女」「金星人地球を征服」(56)といったSFは現代でもカルト扱いされている。売れる前のチャールズ・ブロンソンなど新人を主役に用い、脚本は小説家に依頼、スタッフもユニオンに属さない大卒の映画志望者を起用するなど、低予算で良質の作品を仕上げる工夫はピカ一。かつ若手にはデビューへの支援も行ない、フランシス・フォード・コッポラ、ピーター・ボグダノヴィッチなどが門下生として羽ばたいていく。「ワイルド・エンジェル」はバイカー映画の流行を招き、「白昼の幻想」はドラッグ・ムービーのカルト作となり、独立製作の方法論を示すことでアメリカン・ニューシネマの呼び水的な役割も担った。70年代以降も新人起用の方針でマーティン・スコセッシ、ジョー・ダンテを発掘、90年に20年ぶりの監督作「フランケンシュタイン禁断の時空」を発表しているが、今ではやはり映画監督としてよりはプロデューサーとして一般に広く知られる。その全貌を記した自伝に、『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』がある。