【“変身”のテーマを追求し続けるカナダ映画界の巨人】カナダ、トロントの生まれ。ジャーナリストの父とピアニストの母を持つ。幼少の頃から文才を見せ、さまざまな虫を偏愛していたともいう。トロント大学では理科系から文学部に転じて卒業、ウィリアム・S・バロウズとウラジミール・ナヴォコフの強い影響を受けた。20代になってから映画を志向し、独学で16ミリ短編を製作。さらにカナダ政府の助成金により、1969年から35ミリの実験映画「ステレオ・均衡の潰失」など2本を監督した。その後も助成を受けつつ、ヨーロッパに渡ってフランスとカナダのテレビ用作品などを数多く手がける。帰国後の75年、カナダ時代のアイヴァン・ライトマンに起用され「シーバース」で劇場映画デビュー。続いて手がけた、寄生虫により人々が吸血鬼化していくホラー「ラビッド」(77)が、カナダ国内のみならず世界的なサプライズ・ヒット。超能力者集団の激しい闘争が融合のクライマックスを迎える「スキャナーズ」(81)で評判が一般化し、スティーヴン・キング原作の「デッドゾーン」(83)でアメリカ映画に進出と着実にキャリアを積み重ね、「ザ・フライ」(86)の興行的成功でスター監督の座についた。その後も「戦慄の絆」(88)や「裸のランチ」(91)が米国批評家協会の映画賞を受賞、「クラッシュ」(96)はカンヌ映画祭審査員特別賞、「イグジステンズ」(99)はベルリン映画祭銀熊賞と輝かしい活躍が続く。2002年の「スパイダー・少年は蜘蛛にキスをする」は興行的に失敗するが、米国スタジオの支援で製作した「ヒストリー・オブ・バイオレンス」(05)で再び全米映画批評家協会監督賞を受賞するなどして、挽回を果たしている。【肉体と精神の拡張】カナダ映画をベースに、時にアメリカ映画に起用されながらも、決してハリウッドの体制に取り込まれることなく、カナダと外国を往還して作家映画を作り続ける。海外では“感染ホラーの帝王”あるいは“血の男爵”の異名をとり、“ボディ・ホラー”と呼ばれるSFホラーを専らに手がけた。肉体的なものであれ内面的なものであれ、一貫して“変身”のテーマを追求する。メディア・テクノロジーを通した人間の進化を描く「ヴィデオドローム」(82)は初期の身体変化ものの集大成であり、その後は精神の変容もテーマに取り込んでいった。自分の作品はすべて「“病気”という観点から鑑賞されるべきだ」と語り、病気は必ずしも否定され恐れられるものであるとしない。たとえば「クラッシュ」では肉体的・精神的な傷を負う交通事故こそ、自らの肉体・精神を拡張するチャンスであると捉えた。特に「ヒストリー・オブ・バイオレンス」以後は肉体的な異形への変化は影を潜め、暴力の意味や生き方の“変身”をジャンル映画の枠で内省的に描いている。