【喜劇からシリアス・ドラマまで傑作を撮り続けた名匠】ポーランドのズーハ(当時はオーストリア領)に生まれる。ウィーン大学を中退後、新聞記者を経て脚本家となる。ナチの台頭で、ユダヤ人の彼は1933年にフランスに渡った。34年、“Mauvaise Graine” で監督デビュー。翌35年、メキシコを経由してアメリカに渡った。英語を話せないために、ドイツ語で書いた脚本を英訳して映画会社に売り込むが、2年間は全く売れなかった。エルンスト・ルビッチ監督の「青髯八人目の妻」(38)、「ニノチカ」(40)を、チャールズ・ブラケットと組んで脚本を書いた。42年“The Major and the Minor”で本格的に監督デビュー。以降、自作のほとんどの製作を担当し、脚本は前期はブラケット、後期はI・A・L・ダイアモンドとの共同で書いている。45年の「失われた週末」は、アル中の主人公の生態を緊迫した雰囲気で、緻密に描いた秀作。アカデミー賞の作品・監督・主演男優賞などを受賞した。そして50年の「サンセット大通り」はハリウッドの内幕もので、復活を夢見る大スターと売れない脚本家の出会いから生まれた壮絶なドラマを描く。捕虜収容所の脱走もの「第十七捕虜収容所」(53)、オードリー・ヘップバーンの「麗しのサブリナ」(54)、マリリン・モンローの「七年目の浮気」(55)、リンドバーグ飛行士の偉業を描く「翼よ! あれが巴里の灯だ」(56)、再度オードリーとゲイリー・クーパーのメロドラマの傑作「昼下りの情事」(57)、アガサ・クリスティ原作の法廷劇の傑作「情婦」(57)、モンローとトニー・カーティス&ジャック・レモンのコメディの傑作「お熱いのがお好き」(59)などなど、多彩なジャンルをことごとく傑作に仕上げる一流の腕を披露した。【現代人の哀歓を巧みに描く】60年には記念すべき「アパートの鍵貸します」を監督。サラリーマンの悲哀を笑いとペーソスで描いた傑作で、再度アカデミー賞の作品・監督賞を受賞した。主演のジャック・レモンとは以降も、「あなただけ今晩は」(63)、「恋人よ帰れ!わが胸に」(66)、「お熱い夜をあなたに」(72)、「フロント・ページ」(74)、「バディ・バディ」(81)でコンビを組み、ワイルダーの後期の作品で象徴的な、現代人の哀歓を巧みに描いたコメディでレモンは主演するのである。ほかにはキム・ノヴァクと「ねえ!キスしてよ」(64)、本格的な探偵映画「シャーロック・ホームズの冒険」(70)、再度ハリウッドの内幕に挑んだ「悲愁」(79) と、晩年まで意欲的だった。7個のオスカーを獲得(監督賞、脚本賞、アーヴィング・タルバーグ賞、作品賞まで含めて)、ノミネートは20回という記録を持っている。