【ファンタジーやホラーでカルト映画人気をリード】アメリカ、カリフォルニア州の郊外の町バーバンク出身。幼い頃から怪獣・ホラー映画に親しんで育ち、学生時代には8ミリの怪獣映画を自主製作する。高校卒業後は絵の才能で奨学金を得て、カリフォルニア芸術大学でアニメーションを学び、ディズニーに就職。アニメーターとしてアニメ映画「指輪物語」「きつねと猟犬」などに参加し、1982年、白黒の人形アニメーション映画「ヴィンセント」で初監督。往年の怪奇映画俳優ヴィンセント・プライスにオマージュを捧げたこの短編は評判を呼び、続いて84年に短編「フランケンウィニー」を監督。翌85年、人気コメディアン、ポール・ルーベンス主演の「ピーウィーの大冒険」で長編監督デビュー。低予算ながらヒットを記録し、新進監督として一躍注目を浴びる。89年、人気アメリカン・コミックの実写化映画「バットマン」の監督に抜擢。前年の「ビートルジュース」で組んだコメディアン出身の俳優マイケル・キートンをバットマン役に迎え、そのキャスティングは原作ファンから不評を受けたものの、公開されるやメガヒット。精神的な暗部に欠陥を抱えるヒーローとして描かれたバートン版バットマンは、大人の観賞にも耐えうるアメコミ映画の登場として、現在に続くアメコミ映画ブームの牽引役となる。90年には、代表作となる「シザーハンズ」を発表。この作品でバートン自身を投影した役柄を演じたジョニー・デップとは、以後「エド・ウッド」(94)、「スリーピー・ホロウ」(99)、「ティム・バートンのコープスブライド」(05)、「チャーリーとチョコレート工場」(05)、「スウィーニー・トッドフリート街の悪魔の理髪師」(07)でも組み、ともに独自の地位を築き合う名コンビとなる。【オタク少年から成熟した大人の監督へ】90年代から2000年代にかけてのアメリカ映画界で、バートンはタランティーノと並ぶオタク系映画監督として、若者層から絶大な支持を得る。「猿の惑星」(68)のリメイク版「PLANET OF THE APES 猿の惑星」(01)で、イギリス人女優ヘレナ・ボナム=カーターと出会い、ロンドンへ移住。その後の父の病死、ボナム=カーターとの間の第一子誕生を経験した後の2003年、「ビッグ・フィッシュ」を監督。この作品で、ファンタジーを愛しながらも現実を受け入れる視点を持ち合わせた、成熟した作風へと変化した。