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ハワード・ホークス

  • Howard Hawks
  • 監督/製作/原作/脚本
本名
出身地 アメリカ、インディアナ州ゴーセン
生年月日 1896年5月30日
没年月日 1977年12月26日

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略歴

【男性映画、スクリューボール・コメディの巨匠】アメリカのインディアナ州ゴーセン生まれ。一家は製紙会社を営み、祖父は彼が運転免許証を取る前に自動車を与え、飛行機の操縦を習わせた。さらに、真顔で.をつく祖父の性癖まで受け継いだと言われている。フィリップス・エクセター・アカデミーに学び、コーネル大学では機械工学を専攻。在学中にダグラス・フェアバンクスの映画のセット作りを手伝った。第一次大戦中は通信隊、陸軍航空隊に所属し、戦後はレーサー、パイロットとして働き、彼がデザインしたレーシング・カーがインディ500で優勝したこともあった。本格的に映画の仕事をすることを決意し、助監督、配役係、脚本監修、製作担当などを経て、1922年にパラマウントと脚本家契約を結ぶ。60本近い映画の脚本を執筆(ほとんどがクレジットなし)、監督したいと申し出たが、パラマウントは拒否。フォックスが彼の希望を受け入れ、26年に「栄光への道」で監督デビューした。この作品に端役で出ていた、またいとこのキャロル・ロンバードを「特急二十世紀」(34)では主役に起用している。舞台俳優ポール・ムニを主役に起用した32年のギャングスター映画「暗黒街の顔役」で一躍有名になる。以来、アクション、ハードボイルド、西部劇などの秀作を発表する。「特急二十世紀」「赤ちゃん教育」(38)、「ヒズ・ガール・フライデー」(40)などのスクリューボール・コメディでも高い評価を得た。【バコール、カーンら新人俳優を後押し】彼自身が優れた脚本家と見られていたが、ベン・ヘクト、ウィリアム・フォークナー、リー・ブラケット、ジョン・ヒューストンら一流の脚本家と仕事をしたことで優れた作品を残した。「私はいい脚本家がいないとびびるんだ。映画を撮りたくなくなる」と言い、さらに「いいシーンを撮れば、いい映画ができる。ストーリーなんかあまりなくてもね」とも語っている。ムニ、キャロル・ロンバード、ローレン・バコール、モンゴメリー・クリフト、ジェームズ・カーンらの俳優を世に送り出したことでも有名。また、長年彼の編集者をしていたクリスチャン・ナイビーに監督の機会を与え、SF 映画「遊星よりの物体X」(51)を製作している。この作品は実際はホークスが監督したとも言われ、今でも論議の的だが、彼自身は否定している。反フェミニズム論者として知られているが、ホークスの作品で描かれる勝気な女性(“ホーキシャン・ウーマン”と称される)は今日ではフェミニスト運動の原型とされている。

キネマ旬報の記事

1999年12月上旬号

特別企画 ハワード・ホークス解説書:美女を見たかったらホークスに走れ! 対談 藤崎康×野崎歓

特別企画 ハワード・ホークス解説書:ホークス・コメディ論

特別企画 ハワード・ホークス解説書:コラム「三つ数えろ」の秘密

1978年2月下旬決算特別号

ハワード・ホークス追悼:

1962年12月上旬号

復活したハワード・ホークス:

1962年7月号増刊 西部劇シナリオ決定版 2

傑作ウェスタン・シナリオ:リオ・ブラボー