【戦後イタリア映画界を代表する“映像の魔術師”】イタリアのリミニの生まれ。父は食料品を扱う商人で、フランスやベルギーまで出張した。子供のころは数学が苦手で絵ばかり描き、7歳のとき父親に連れて行ってもらったサーカスに夢中になる。1938年に高校を卒業してフィレンツェに出るが、翌年にはローマで似顔絵描きを始める。やがてラジオの台本も書くようになり、ロベルト・ロッセリーニの知己を得て「無防備都市」(45)の脚本を共同執筆、ネオレアリスモの映画作りの熱気に触れる。46年、「戦火のかなた」の脚本と助監督を担当、50年「寄席の脚光」でアルベルト・ラットゥアーダと共同監督でデビュー。53年の「青春群像」では、怠惰な生活を送る5人の若者たちを描き、翌54年には早くも代表作「道」を撮る。大道芸人と白痴のような無垢な女の関係を描いた作品で、最も素直で感動的なフェリーニ作品として知られている。キネマ旬報ベスト・テン1位。主演は43年に結婚したジュリエッタ・マシーナで、彼女とは「カビリアの夜」(57)ほかでも組んでいる。そして、20世紀のバビロンさながらに退廃するローマの上流階級を描く大作「甘い生活」(60)でカンヌ映画祭グランプリ受賞。映画監督の苦悩と焦燥を描く。【映画監督の苦悩と焦燥を描く】ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティとのオムニバス「ボッカチオ’70」(61)に続き「8 1/2」(63)を撮る。自伝的大作で、映画監督の苦悩と焦燥を幻想的に描き、アカデミー賞外国語映画賞を受賞するとともにキネマ旬報ベスト・テン1位。その「8 1/2」の女性版とも言えるマシーナ主演の「魂のジュリエッタ」(65)、ルイ・マル、ロジェ・ヴァディムと共作のオムニバスのホラー「世にも怪奇な物語」(68)、そして退廃した古代ローマを舞台に、酒池肉林に走る貴族などを通して人間の根源的な欲望を突き止めようとする問題作「サテリコン」(72)、絢爛たるイメージで自己を語った「フェリーニのローマ」(72)、そして故郷である北部イタリアを舞台に、少年の目を通して現実とファンタジーを重層的かつノスタルジックに描いた「フェリーニのアマルコルド」(74)を撮り、ひとつの集大成としてキネマ旬報ベスト・テン1位に輝く。色事師カサノバの回想録をフェリーニ風に換骨奪胎した「カサノバ」(76)、マルチェロ・マストロヤンニを主演に女の迷宮に紛れこんだ男を描いた幻想的な「女の都」(80)、第一次大戦前夜豪華客船に乗り合わせた貴族、芸術家、救済された難民などの運命が描かれる「そして船は行く」(83)、30年ぶりに再会した芸人コンビにマシーナとマストロヤンニが扮した「ジンジャーとフレッド」(85)など様々な作品を発表。そして「インテルビスタ」(87)は、自らの映画の生涯を振り返りながら、過去と現在の新作とが交錯するという、晩年に相応しいフェリーニならではの映画への愛を綴った虚実入り乱れる作品であった。