大学の友人らと結成したニューウエイブ・バンド「トーキング・ヘッズ」を率い1974年頃からニューヨークで音楽活動をスタート。1977年にメジャーデビュー。1980年頃から自分たちのプロモーション・ビデオを製作、監督するようになる。1984年にメンバーが企画、ジョナサン・デミを監督に迎えたコンサート映画「トーキング・ヘッズ/ストップ・メイキング・ヘッズ」が高い評価を得る。1986年に映画「デヴィッド・バーンのトゥルー・ストーリー」で商業映画監督デビュー。1987年にはベルナルド・ベルトルッチ監督作「ラスト・エンペラー」で坂本龍一やコン・スーと共にアカデミー賞作曲賞を受賞した。バンド解散後はブラジル音楽に傾倒。1989年に音楽ドキュメンタリー「イレ・アイーエ」を監督。1994年には自身のコンサート映画「ビトウィーン・ザ・ティース」をデヴィッド・ワイルドと共同監督している。2003年にデヴィッド・マッケンジー監督作「猟人日記」のスコアを担当した。音楽、映像の他にも写真、アートでも活躍するマルチ・アーティストとして現在も活動中。