【カンヌ映画祭を3度制した現代アメリカ映画の若き巨匠】アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス出身。父は大学で経済学を、母は美術史を教えるインテリの両親で、少年時代から8ミリ映画を作って遊ぶ。プリンストン大学で哲学を学んだ後、兄ジョエルに誘われて映画作りを始める。1984年、クレジット上ではイーサン製作、ジョエル監督、二人の共同脚本で手がけた処女作「ブラッドシンプル」がインディペンデント・スピリット賞の監督賞を受賞し、20世紀フォックスの資金を受けて「赤ちゃん泥棒」(87)、「ミラーズ・クロッシング」(90)を監督。そして4作目の「バートン・フィンク」(91)でカンヌ国際映画祭でパルム・ドール、監督賞、男優賞の3部門を独占受賞して、コーエン兄弟の知名度を国際的に高める。そんな彼らに注目したハリウッドの大物プロデューサー、ジョエル・シルバーと組み、巨額の製作費をかけた大作「未来は今」(94)を発表するが、興行的に惨敗。この経験から再び低予算映画に立ち戻り、自分たちの故郷ミネアポリスの田舎町を舞台にした犯罪ドラマ「ファーゴ」(96)を発表する。この作品は批評家から絶賛を浴び、アカデミー賞で脚本賞と主演女優賞を、さらに2 度目のカンヌ映画祭の監督賞に輝いた。興行的にも成功を収め、それまで評論家たちからの評価は高かったものの一般的には知られていなかったコーエン兄弟の人気を一気に高めた。【商業性と芸術性を備えた監督に】犯罪ドラマ、ドタバタ・コメディ、スリラー、ギャングものなど、ジャンル映画を得意としながらも深い人間考察と緻密な構成で決して紋切り型には陥らず、2000年代に入ってからは「ディボース・ショウ」(03)、「レディ・キラーズ」(04)といったハリウッド大作にも再び挑戦。一方でインディペンデント映画「バーバー」(01) で3度目のカンヌ映画祭監督賞を獲得する快挙を成し遂げ、商業性と芸術性を兼ね備えた監督へと変化した。2007年の「ノーカントリー」では兄弟にとって初となるアカデミー賞作品賞と監督賞を受賞。国内外で多数の賞を得た他、これまでのコーエン兄弟映画の中で最高のヒットとなり、その翌年には対照的なクライム・コメディ「バーン・アフター・リーディング」を発表した。