少年時代からハリウッドに憧れ、カリフォルニアに渡り、舞台やTVに出演。ジェームズ・ディーン主演作2本「理由なき犯行」(1956)や「ジャイアンツ」(1956)での脇役で注目を浴びる。1958年にヘンリー・ハサウェイ監督と衝突、メジャースタジオから追放される。1969年、監督・脚本・出演を務めた「イージー・ライダー」で一躍脚光を浴び、アメリカン・ニューシネマの代表的人物となるが、1971年の監督作「ラストムービー」では配給のユニバーサルと衝突、ハリウッドから追放される。その後カナダやヨーロッパで活動を続けるが、アルコールとドラッグ中毒により入退院を繰り返すようになる。1986年のデイヴィッド・リンチ監督作「ブルーベルベット」でのエキセントリックな演技で再び注目を浴び、以降独特な雰囲気を持つ個性派として活躍を続ける。写真家としても、『ハーパーズ』や『ヴォーグ』誌のレギュラーをこなすなど才能を発揮した。2010年5月29日前立腺がんの合併症により死去。