【メジャー大作も手がけるサスペンス・スリラーの鬼才】アメリカ、ニュージャージー州の整形外科医の家に生まれる。大学在学中、ヒッチコックの「めまい」を見て映画の世界を志し、短編作品で得た奨学金を基に大学修士課程で映画を専攻、自主制作に乗り出した。ニューヨークを拠点として撮った数本のうち、68年の青春映画「ブルーマンハッタンⅡ・黄昏のニューヨーク」はベルリン映画祭で銀熊賞を受賞。70年にハリウッドに招かれ、監督途中解任の失敗を経たものの、怪奇スリラーの「悪魔のシスター」がスマッシュヒット、さらに「キャリー」の大ヒットとともに、ジャンル映画ファン層の強い支持を獲得した。80年代に入って以後もヒッチコックを意識したサイコ・スリラー「殺しのドレス」や、ギャング映画「スカーフェイス」等のジャンル映画を連続して手がけ、トップスターを配した大作「アンタッチャブル」が大ヒットすると、広範な観客を楽しませるメジャー監督としての評価も固めた。その後もハリウッド大作をコンスタントに手がける中で従来のジャンル映画志向も貫き、スパイ・アクションの「ミッション: インポッシブル」やサスペンスの「スネーク・アイズ」を成功に導く。07年の「リダクテッド・真実の価値」は中規模の意欲的な社会派戦争映画で、ヴェネチア映画祭監督賞に輝いた。【趣味的なビジュアリスト】最初期の出自ではジョン・カサヴェテスのあとを追うニューヨーク派に属するが、ハリウッド入りしてからのジャンル映画志向や先達へのオマージュ趣味は、少し後のルーカス=スピルバーグの系統に肩を並べる。特にヒッチコックへの傾倒ぶりは著しく、「悪魔のシスター」以降の“ヒッチコック的”作品群には模倣・亜流の批判も多かった。しかしながら、流麗なキャメラワーク、緊張を孕んだスローモーション、パンフォーカスやスプリット・スクリーンといった映像技巧は観客を魅了し、「ファントム・オブ・パラダイス」や「ミッドナイトクロス」などのマイナー作品も熱狂的なファンを持つ。その積み重ねが“デ・パルマ・タッチ”と称されるに至り、異能監督としての評価も定着した。「アンタッチャブル」以後は映像技巧を一般的な語り口に融和させつつ、古典へのオマージュを滑り込ませる。古典の現代的再生という一貫した嗜好も含め、ハリウッドにおける趣味性あらわなポジションには今も毀誉褒貶が絶えない。