【新感覚のノスタルジー作品の第一人者】アメリカ、ミネソタ州ミネアポリスの生まれ。エール大学で作曲を学び、博士号を取得する。第二次大戦中は海兵隊、ついで海軍のパイロットとして飛行機に乗った。戦後、テキサスの新聞社で働き、1946年からアイルランドのダブリンにあるトリニティ・カレッジに学ぶ。この間、シリル・キューザック劇団に入り、俳優として舞台に立つ。アメリカに帰った後、オフブロードウェイに端役で出演、50年代に朝鮮戦争が始まると海兵隊に入隊、夜間爆撃機のパイロットとして活躍。と同時に、自らの体験をテレビ用の脚本に仕上げ好評を博しており、2年後に除隊したときは、テレビの脚本・演出で一本立ちできるようになっていた。56年、テレビ・ドラマ『思い出の夜』の製作・演出・脚本を担当し成功、翌57年にはトマス・ウルフの『天使よ故郷をふり返れ』でブロードウェイに進出、以降も演出家として活躍する。そして62年“Period of Adjustment”で映画監督としてデビュー。日本へのデビューとなったのは3作目の「マリアンの友だち」(64)。これは色事師のピアニストにつきまとう2人の少女の姿を通して、空想と冒険に熱中する思春期をみずみずしく描いたコメディの佳作だった。次いで、ジュリー・アンドリュース主演で、未開の地ハワイに根をおろした宣教師夫婦の愛と献身を描いた「ハワイ」(66)、同じアンドリュースのミュージカル「モダン・ミリー」(67)を撮る。【過ぎ去ったものへの哀愁】69年には「明日に向って撃て!」を撮る。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードという売れっ子2人を主演にした新感覚の西部劇で、ニューシネマの代表作として捉えられている。次にSFファンタジーの映画化「スローターハウス5」(72)で商業主義からはずれた骨のあるところを見せた。再びニューマン& レッドフォード主演にした「スティング」(73)は、痛快この上ない傑作娯楽作品で、アカデミー賞作品・監督賞など7部門の大量受賞。「華麗なるヒコーキ野郎」(75)では20年代の曲乗り飛行に命を懸ける男たちを描くなど、ヒルは時代から過ぎ去ったもの、破れ滅び去ったものへの哀愁を優しい視線で描いた。プロ・アイスホッケーの世界を描いた「スラップ・ショット」(77)、パリとヴェネチアを舞台に可愛らしい恋を描いた佳作「リトル・ロマンス」(79) と、ヒルらしい堅実な作品を撮った後、82年、ジョン・アーヴィングのベストセラーを映画化した「ガープの世界」を発表する。看護婦が強引に子供を作り、その子が大人になって様々な経験をするという複雑な内容を、的確な脚色と巧みな演出で感動的な作品に仕上げた。ジョン・ル・カレのスパイ小説を映画化した「リトル・ドラマー・ガール」(84)、そして未公開作品を残して、パーキンソン病となり現場から離れた。