【国境を越えて活躍する詩的映像の探求者】イタリア、パルマの生まれ。詩人・批評家の父の影響で幼い頃より詩を書き、詩的表現手段として中学生の頃から映画を撮り始めた。ローマ大学在学中に見たジャン=リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」に衝撃を受け、本格的に映画監督を目指して大学中退後の1961年にピエル・パオロ・パゾリーニの「乞食」に助監督として参加。パゾリーニと親交を深めた。パゾリーニから脚本を提供された「殺し」で21歳にして監督デビューを果たし、注目を集めた。60年代はヌーヴェル・ヴァーグの影響が色濃い「革命前夜」など前衛的な作品を製作したが、「暗殺のオペラ」は特有の流麗な映像美を発揮、ひとつの転機とした。続く「暗殺の森」がさらなる退廃的な映像美で世界的に高い評価を獲得。さらにマーロン・ブランド主演の「ラストタンゴ・イン・パリ」は、大胆な性描写がセンセーショナルな話題を呼びつつ芸術的に高い評価を得て、世界にその名を知らしめた。以後も独特の映像美に磨きをかけ、大河歴史ドラマの「1900年」ほかを経た87年に「ラストエンペラー」を発表。同作は、アカデミー作品賞をはじめ9部門でオスカーを獲得、これによりメジャー監督の仲間入りを果たす。「シェルタリング・スカイ」「リトル・ブッダ」と合わせたこれら三作は“オリエンタル三部作”と呼ばれた。以降は再びイタリアを舞台とした「魅せられて」など、大作とは異なる叙情溢れる秀作を発表している。【“映画は詩や音楽に近い”】作品を語るうえで欠かせないのがバロック的な映像美。“映画は詩や音楽に近い”と発言しているように、その詩的映像が観る者を圧倒する。映像詩人としての礎は、ロベルト・ロッセリーニやパゾリーニに傾倒し、ネオレアリスモを踏襲しつつ個を通じてファシズムを追及した60年代諸作のうちに築かれていた。しかしネオレアリスモが事実上の終焉を迎え、パゾリーニはエロティシズム溢れる様式美へと変貌、フェリーニやヴィスコンティという新世代の巨匠もそれぞれ独自の耽美主義を展開した70年代は、彼らを追うようにベルトルッチも難解さを払拭し、より高い審美性を探索した。70年代末から80年代半ばのイタリア映画停滞期においては、海外に活躍の場を求め、「ラストエンペラー」が映像美のひとつの到達点となる。近年では内面性を重視した「シャンドライの恋」のような繊細なラヴ・ストーリーを製作しているが、やはり映像美の模索を軸に、時代背景に応じた変化と進化とを成し続けている。