【ブロックバスター時代におけるアクション大作の若き覇者】アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス出身。養父母に育てられ、実父はジョン・フランケンハイマーだと主張していたが真相は不明。15歳の時にはルーカス・フィルムで働いたともいう。1986年にウェスリアン大学を卒業、専門学校でも映画を学び、89年よりプロパガンダ・フィルム社でCMとミュージックビデオを撮り始める。CMでは広告業界のおよその受賞を果たし、最優秀ディレクターの称号を獲得。ミュージックビデオでもティナ・ターナー、ライオネル・リッチーらの作品を手がけ、92年にMTVアワードを受賞。これらの業績が製作者ジェリー・ブラッカイマーの目に留まり、95年の「バッドボーイズ」で映画監督デビューする。マイアミ市警の黒人刑事コンビを主人公とした「バッドボーイズ」は、MTV感覚の映像やアクションにより世界で1億4000万ドルの大ヒット。続く96年のブラッカイマー製作「ザ・ロック」も3億3000万ドル超のメガヒットとなって、若きヒットメイカーの地位を確立した。ブラッカイマーとのコンビはしばらく続き、「アルマゲドン」(98)以降は製作費が常に1億ドルを超えつつ、全世界興行収入もその2倍3倍を稼ぎ出す。真珠湾攻撃を背景としたロマンス「パール・ハーバー」(01)では考証面で物議を醸し、ブラッカイマーと離れたSFアクション「アイランド」(05)では国内成績が1億ドルに届かないといった低迷も尻目に、スティーヴン・スピルバーグと組んだ「トランスフォーマー」シリーズ(07・09)を再び世界的ヒットに導き、DVD売り上げの高成績も記録した。また01年には製作業に進出、中規模のスリラーやホラー映画をコンスタントに送り出している。【インフレ映像作家の騎手】ニュー・ハリウッド世代の作品で映像感覚を養い、無名のフィルムスクールを経て、MTV監督からいきなり大作映画に進出という、ブロックバスター時代の申し子的な監督。自身の製作会社では「テキサス・チェーンソー」(03)、「13日の金曜日」(09)といった70~80年代著名ホラーのリニューアル版を専らに作る点からも、嗜好の背景が察せられる。少年時に8ミリ撮影で玩具を爆破させ火事騒ぎになったというエピソードが示すように、スペクタクルな見せ場を好み、一貫して娯楽活劇大作を手がける。「ザ・ロック」ではCMや音楽ビデオで培った技術を最大限に注ぎ、以後のアクション映画に影響を与えたとされた。目まぐるしい編集、極端なアップ・ショット、過剰な破壊描写、動き回るキャメラといったベイ印の演出は、ブラッカイマーの志向とも合致し、現代ハリウッド大作の特徴として定着。一部でそのスタイルは(ベイの名と破壊=メイヘムの語をかけた)“ベイ・ヘム”と称され、「パール・ハーバー」や「トランスフォーマー」では設定や物語に矛盾を抱えるなど、“やりすぎ”“内容が空疎”との批判も常に受けてきた。しかしVFXを多用しながら実写スタントに拘り、ベイ・ヘムも一定の限度は超えない保守性も窺わせる。近年は大所帯を指揮する現場統括者としての技量に磨きがかかり、スピルバーグの直系に位置付けられるハイリスク=ハイリターン型監督の代表者となった。