【怪優キンスキーとのコンビで個性的なドラマを連打】ドイツ、ミュンヘン生まれ。少年時代をバイエルンの山岳地帯の農村で過ごす。14歳の時にユーゴスラヴィアからギリシャまでの旅を試み、初めて触れる外国の空気に大きな刺激を受ける。1961年、大学入学資格試験に合格し、大学で歴史と文学、演劇を専攻する。その後、奨学金を得てアメリカに渡り、ピッツバーグのデュケイン大学で映画とテレビについて学ぶ。在学中の62年、初の短編映画「ヘラクレス」を完成。その後も短編ドキュメンタリーなどを手がけ、66年にドイツの映画推進理事会より30万マルクの援助を受けて、ミュンヘン映画ジャーナリスト・クラブからカール・マイヤー賞を与えられた自らの脚本『のろし』をもとに、長編劇映画デビュー作「生の証明」を監督、68年のベルリン映画祭で銀熊賞を受賞する。70年代に入ってからは独自の才能を一気に開花させ、「小人の饗宴」(70)、「闇と沈黙の国」(71)、「アギーレ/神の怒り」(72)など、劇映画とドキュメンタリー映画の両分野で活躍する。そして74年、19世紀に実在した野生児カスパー・ハウザーの物語を映画化した「カスパー・ハウザーの謎」で、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞。後に「フィツカラルド」(82)でも同映画祭監督賞を獲得し、ライナー・W・ファスビンダーと双璧を成すニュー・ジャーマン・シネマの牽引者となる。【自滅する人間と、自然との相克を反復】クラウス・キンスキーとの良きコンビネーションが知られ、「アギーレ」から「コブラ・ヴェルデ」(87)まで5作品で組んでいる。それまでは西部劇の悪役俳優だったキンスキーを、強烈な個性を持った演技派怪優へと変化させた。野望や妄想に取り憑かれ、暴走の果てに自滅してゆく人間というテーマを何度も反復し、特にキンスキー主演作品に色濃く見られる。また、火山(「ラ・スフリュール」)や山岳地帯(「彼方へ」)、未開の秘境(「アギーレ」「フィツカラルド」「コブラ・ヴェルデ」)など、人間の力が及ばない大自然を舞台にした作品も多い。90年代に入ってからはオペラの演出も手がけはじめ、しばらく映画から遠ざかっていたが、99年「キンスキー、我が最愛の敵」で久々に復帰。また、ヘルツォークに深く心酔するハーモニー・コリンの監督作「ジュリアン」(99)、「ミスター・ロンリー」(07)に出演するなど、若手映画作家とも積極的に交流している。