【ポーランドの歴史を綴る抵抗の映画作家】ポーランド、スヴァウキ生まれ、軍将校の父と教師の母の家庭で育ち、第二次大戦中は10代で対独レジスタンス運動に参加した。戦後は美術アカデミーで絵画を学び、新設の国立映画大学に編入。1952年に卒業し、戦前からのベテラン監督アレクサンデル・フォルドの助監督などで現場の経験を積み、監督デビューに至る。80年代前半は戒厳令によりポーランド映画界を追われ、フランス資本で作品を手がけた。54年、10代の少年たちが抵抗運動に加わる過程を描いた長編第1作「世代」を発表。若者たちの抵抗運動の敗北を捉えた「地下水道」(56)は西側諸国の映画人にも衝撃を与え、カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞。第3作の「灰とダイヤモンド」(57)もヴェネチア映画祭で批評家連盟賞を受賞し、ポーランドを代表する作家に位置付けられた。これら戦中戦後ポーランドの悲劇を描いた3作は“抵抗三部作”と呼ばれる。以後もポーランドの歴史や社会情勢に根ざした作品をつくり続け、「白樺の林」(70)はモスクワ映画祭監督賞、「約束の土地」(75)は同映画祭金賞に輝いた。国内の民主化運動が激化した時期には「大理石の男」(77)とその続編「鉄の男」(81)を撮り、西側諸国からの連帯の支援とともに、両作ともカンヌ映画祭で高く評価(国際批評家連盟賞とグランプリ)されている。81年、戒厳令で海外製作に移行したものの、86年の「愛の記録」でポーランド映画界に復帰。文芸映画や伝記映画など表現の幅を広げつつ活動を続けた。その、歴史に対する芸術家としての活動を称えられ、99年度のアカデミー賞名誉賞を受賞。【社会派にして美学的】英雄賛歌や大衆翼賛を基調とした50年代社会主義諸国の映画群にあって、民衆の苦渋や作家の主張を滲ませた“抵抗三部作”の登場は驚くべき事件であった。冷戦下で西側の映画祭が東側の映画に授賞するのも異例であり、ワイダ同様に社会的問題を取り上げたイエジー・カワレロウィッチやアンジェイ・ムンクらの同世代作家は“ポーランド派”と呼ばれ、世界の映画界に社会派作品の旋風を巻き起こす。ワイダの以後の代表作にも共通するのは、直接的に批判を訴えるのではなく、個人の行動に焦点を当てることで象徴的にポーランドの悲劇や体制批判を抽出する点。また「灰とダイヤモンド」の白いシーツに滲む血などに示される美学的表現も特徴であり、政治的文脈だけでなく、ヌーヴェル・ヴァーグ同様、映像表現の可能性でも注目された。2016年10月9日死去、享年90歳。