【頑なに独自のスタイルを貫くギリシャ映画界の至宝】ギリシャのアテネに生まれる。1957年にアテネ大学を卒業後、パリのソルボンヌ大学に留学するが中退して、シネマ・ヴェリテの映画作家ジャン・ルーシュが教えていたIDHEC(映画高等学院)に通った。64年、ギリシャに帰国して映画批評などを書いたのち、68年の短編「放送」で監督デビュー。70年には長編第1 作の「再現」でジョルジュ・サドゥール賞を受賞した。72年の「1936年の日々」に始まる“現代史三部作”では、その名の通り36年からのギリシャの現代史が描かれた。第2部にあたる「旅芸人の記録」(75)は、ギリシャ悲劇の登場人物たちの名前を持った旅芸人の一座を通して、圧制・占領・叛乱といった歴史をたどったギリシャの39年から52年までの14年間を、4時間近い上映時間で描いたスケールの大きな叙事詩。第3部の「狩人」(77)は1976年が舞台で、雪深い山荘に集まった男女が四半世紀も前の兵士の遺体を発見するところから、過去と現在が錯綜するスタイルでやはりギリシャの現代史を描いていく。三部作のあとの「アレクサンダー大王」(80)では古代の英雄伝説を現代になぞらえて描き、ギリシャ現代史の集大成としてヴェネチア映画祭国際批評家連盟賞を受賞した。ワンカットが10分を超えることもあるほどの長回しを好んで多用し、同一シークエンス内における過去と現在などの時制の転換、クローズアップを避けるカメラワーク、360度パン、曇天での撮影に頑なにこだわるなど、のちにアンゲロプロスの演出スタイルとして特筆される要素は、そのほとんどが「旅芸人の記録」の頃から確立されたものである。【国境を越えてその思索は世界へ】その後は世界的な共産主義の退潮に伴い、自ら“理想のひとつ”としていた共産主義に別れを告げて“国境”に視点を移した。“国境三部作”と呼ばれる「シテール島への船出」(84)、「こうのとり、たちずさんで」(91)、「ユリシーズの瞳」(95)もそれぞれ国際舞台で高い評価を受け、その間の「霧の中の風景」(88)でヴェネチア映画祭銀獅子賞、98年の「永遠と一日」はカンヌ映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞するなど、その受賞歴は数知れない。2004年には新たな“20世紀三部作” 構想のスタートを切る「エレニの旅」を発表。当初は「トリロジア」という題名の1本の長編となる予定だったが、あまりに膨大な上映時間になることが予想されたため、三部作として製作されることになったという。第2部にあたる“The Dust of Time(第三の翼)”の製作も進んでいた2012年1月24日、アテネ近くのピレウスで交通事故に遭い、死去。