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ロベール・ブレッソン

  • Robert Bresson
  • 脚本/監督
本名
出身地 フランス、ピュイ=ド=ドーム県ブロモン=ラモット
生年月日 1901年9月25日
没年月日 1999年12月18日

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略歴

【独自の演出、心理描写にこだわり続けた作家】フランスのピュイ=ド=ドーム県のプロモン=ラモト生まれ。幼い頃についてはよく知られておらず、生年についても1901年と1907年の二説がある。画家になる修行をし、写真も撮っていたが、映画の道に進む。ルネ・クレールの助監督を務め、34年に中篇コメディ“Les affaires publiques”をピエール・シャルボニエと共同で監督。戦時中はドイツの捕虜収容所に1年以上入れられていた。このときの経験が「抵抗(レジスタンス)- 死刑囚の手記より」(56)に生かされている。43年に「罪の天使たち」で監督として単独デビュー。ブルジョワの娘が修道院に入り、若い受刑者と知り合うという内容で、罪と魂の救済をテーマとしていた。以後、3、4年に1本撮るという寡作家(50年以上のキャリアで長編はわずかに13本)で、45年の2作目「ブーローニュの森の貴婦人たち」が職業俳優を使った最後の映画で、以後は一貫して素人俳優を使って撮っている。「映画の製作とは本当の物事のイメージとサウンドを効果的に見える順序で結びつけることである。私が認めないのは本物ではないものを撮影すること。セットと職業俳優は本物ではない」とのことで、俳優たちはすべての演技がそぎ落とされ、完全なアンサンブルとなるまで何度も演技を繰り返させられた。彼の作品に出た素人の中には、その後も俳優の仕事を続けている人々もいる。例えば、「スリ(掏摸)」のマリカ・グリーンは74年の「エマニエル夫人」に、「バルタザールどこへ行く」のアンヌ・ヴィアゼムスキーはその後ジャン= リュックゴダール作品に主演している。【重要テーマは優雅に死ぬこと】56年の「抵抗(レジスタンス)- 死刑囚の手記より」はカンヌ映画祭監督賞を受賞、この作品にはルイ・マルが助監督としてついていた。「抵抗(レジスタンス)- 死刑囚の手記より」、「スリ」(59)、「白夜」(71)の3 作のみ、主人公が生き残る結末となっている。彼にとっては優雅に死ぬことが重要なテーマであり、「少女ムシェット」(67)、「やさしい女」(69)、「たぶん悪魔が」(77)では主人公は自殺する。敬虔なカトリック信者でありながら、彼自身の映画では自殺で終わるのは必ずしも罪とはなっていないようだ。シネマよりシネマトグラフという言葉を好み、「シネマとは突き詰めて言えば撮影された演劇にほかならない。シネマトグラフは運動するイマージュと音によるエクリチュール、新たな言語を創造しようという試みだ」と75年に発表した『シネマトグラフ覚書映画監督のノート』で述べている。また「観客には理解する前に感じてほしい」とも語っている。創世記を映画化する企画を長年温めていたが、資金が集まらず、80年代に引退。95年にルネ・クレール賞を受賞した。

キネマ旬報の記事

2000年3月下旬号

追悼 ロベール・ブレッソン:ブレッソンが遺したもの

追悼 ロベール・ブレッソン:悪魔のいない21世紀の映画のために

追悼 ロベール・ブレッソン:フィルモグラフィ

1978年2月下旬決算特別号

インタビュー ロベール・ブレッソン:

1974年11月上旬号

ロベール・ブレッソンの凝視/少女ムシェットの死と原罪:

1970年6月上旬号

ロベール・ブレッソンのデモン:

1960年7月上旬夏の特別号

世界新人監督展望:A・アストリュック/ロベール・ブレッソン/ミッシェル・ボワロン/マルセル・カミュ/クロード・ジャブロル/J・D・ヴァルクローズ/ジョルジュ・フランジュ/J・L・ゴダール/F・ライシェンバック/ルイ・マール/ジャン・P・モッキー/エドゥアール・モリナロ/ジェラール・ウーリィ/ジャン・D・ポレ/アラン・レネ/フランソワ・トリュフォ/ロジェ・ヴァディム/フランソワ・ヴィリエ

1960年6月上旬号

旬報論壇:ロベール・ブレッソンの世界

1958年12月下旬号

ロベール・ブレッソン研究:テレビに出た『田舎司祭の日記』 ブレッソンの表現様式(人間の魂を描く映画言語の独自性)

ロベール・ブレッソン研究:ブレッソンの経歴と作品

1957年11月下旬号

旬報論壇:「抵抗」とロベール・ブレッソン

1957年4月下旬号

座談会 ロベール・ブレッソンの新作「抵抗」:吉村公三郎×武田泰淳×遠藤周作×岡田晋

1951年10月上旬秋季特大号

ロベール・ブレッソン: