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ニキータ・ミハルコフ

  • Nikita Mikhalkov
  • 監督/脚本/出演/製作
本名
出身地 ロシア、モスクワ
生年月日 1945年10月21日
没年月日

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略歴

【ロシアを代表する芸術一家の末裔監督】モスクワ出身。曾祖父は19世紀画壇の巨匠ワシリー・スリコフ、祖父も20世紀初頭の画家ピョートル・コンチャロスキー、父はロシア国歌を作詞した児童文学の大家セルゲイ・ミハルコフ、母は詩人で翻訳家のナターリヤ・コンチャロフスカヤと、ロシアを代表する芸術家一家に生まれる。少年時代は俳優に憧れ、「ボルスコエの雨雲」(60)で俳優デビュー。1963年から3年間、モスクワのワフタンゴフ劇場付属のボリス・シチューキン演劇学校で演技を学ぶ。在学中の64年、ゲオルギー・ダネリア監督の「私はモスクワを歩く」に出演。この頃から、後にやはり映画監督となる兄アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー(代表作「映写技師は見ていた」)の影響を受けて監督に興味を持ちはじめ、演劇学校卒業後の66年、全ソ連国立映画学校監督科に入学。在学2年目に初めての作品「私は家に帰りたい」(67)を、卒業制作に「戦いの終りの静かな一日」(71) を監督する。74年、白軍ゲリラと赤軍の闘いを描いたアクション映画「光と影のバラード」で、長編監督デビュー。「愛の奴隷」(76)を経て、3作目「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」(77)で最初の注目を浴びる。【90年代ロシア映画界の牽引者に】世界的にその名が知れわたったのは、「機械じかけ~」と同じくチェーホフの短編を原作とした「黒い瞳」(87)。主演のマルチェロ・マストロヤンニはカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞し、作品自体も世界で大ヒットして90年代のロシア映画界を代表する存在となる。4年間の沈黙の後、モンゴルの大草原を舞台に遊牧民一家を描いた「ウルガ」(91)を発表。ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を獲得する。そして94年、スターリンの大粛清時代を背景に自ら主演した「太陽に灼かれて」で、カンヌ国際映画祭審査員特別賞と、アカデミー賞外国語映画賞を受賞。映画作家としての頂点を極める。小市民的日常の機微を描いた初期作品(「五つの夜に」「オブローモフの生涯より」)から、演劇と文学と映画の融合を目指したスケールの大きな物語づくりへと作風は変化し、最近では現代ロシアに舞台を移してアメリカ映画をリメイクした「12人の怒れる男」(07)を手がけている。俳優としても活動しており、自作の多くに出演している他、兄アンドレイの監督作「貴族の巣」(69)、「シベリアーダ」(79)や、日本映画「オーロラの下で」(90)に出演している。

キネマ旬報の記事

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