【国際映画祭で多数の受賞歴を誇るスペインの名匠】スペイン、アラゴン州ウェスカの生まれ。技術学校を出て、1949年からプロのカメラマンとなり、すぐに名前が売れ始めるが、52年、国立映画技術調査研究所に入学。卒業製作の短編“La Tarde del Domingo”(57)で監督号を取得し、同所の映画学部教授に就任する。59年に初の長編“Los golfos”を発表。これがカンヌ映画祭に出品され、国際舞台に名を馳せた。その後、政治的理由から64年に教授を退職。以後は監督として本格的に活動を始め、初期の作品のほとんどが国際映画祭で高い評価を受ける華々しい活躍が続いた。主な受賞歴を挙げると、65年の「狩り」と67年の「ペパーミント・フラッペ」がいずれもベルリン映画祭監督賞、73年の「従妹アンヘリカ」がカンヌ映画祭審査員賞、76年の「カラスの飼育」がカンヌ映画祭審査員特別賞、80年の「急げ、急げ」がベルリン映画祭グランプリ受賞など。また、79年の「ママは百歳」は米アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされた。この間、「ペパーミント・フラッペ」の主演女優ジェラルディン・チャップリンと結婚したが、のちに離婚。81年、スペインで人気の舞踏家のアントニオ・ガデスと組んで、ミュージカル映画「血の婚礼」を発表する。これは1933年に初演された詩人ガルシア・ロルカの詩劇をもとにして好評を博したガデスの舞踏劇を、さらにサウラが映画化したもので、ガデス率いる舞踏団が楽屋入りしてからリハーサルへと向かう模様をドキュメンタリーさながらに描き、リハーサル部分の舞踏劇がそのまま映画のドラマとなっていくという、虚実織り交ぜたシュールリアリスティックな手法の新しいミュージカル映画になった。【舞踏・音楽にこだわり続ける】サウラとガデスのコンビは、さらに同様の手法による“ フラメンコ・ミュージカル三部作” として「カルメン」(83)、「恋は魔術師」(85)を発表。世界中にフラメンコブームを巻き起こし、ことに前者はカンヌ映画祭で最優秀芸術貢献賞と技術功績賞を受賞、さらにアカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。以後もサウラは、サスペンスフルなドラマなどを手がける一方で、旅芸人の生きざまを描く「歌姫カルメーラ」(90)、ダンスの世界を舞台にした男女の愛憎劇「タンゴ」(98)、オスカー・ワイルドの戯曲を舞踏劇として映画化した「サロメ」(02)など、舞踏や音楽にこだわった作品を次々と発表している。