【神と女性に真実を問いかけるスウェーデンの巨匠】スウェーデン、ウプサラの生まれ。父はプロテスタント教会の高級僧侶。1937年にストックホルム高校に入学し文学と芸術史を学ぶが、学業そっちのけで学生劇団の活動に没頭する。42年、自作戯曲が評価されてスヴェンスク・フィルムインダストリ社の脚本部に採用され、一方で44年にはヘルシングボルイ劇場の演出主任となった。脚本作品「もだえ」が映画化されたのちの46年、「危機」で監督デビュー。当時から映画と演劇の活動を並行していた。やがて映画監督として頭角を現し、17歳の不良少女と結婚した男を描く「不良少女モニカ」(52)、喜劇の傑作「夏の夜は三たび微笑む」(55)、続いて57年に「第七の封印」を撮る。遠征に失敗した十字軍の騎士が死神に狙われる。騎士は死神とチェスをしながら善悪と生死の問題を語ろうとする。ベルイマンが幼いころ見た教会の壁画から想を得たという問題作で、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞。同年、老教授の人生を通して生と死について考察する「野いちご」を監督、ベルリン映画祭金熊賞受賞、キネマ旬報ベスト・テンで第1位に。翌58年の「女はそれを待っている」でカンヌ映画祭監督賞を、「魔術師」でヴェネチア映画祭審査員特別賞を受賞した。60年には、娘を殺害された父親が犯人たちに復讐するがその罪を神に懺悔する姿を描く「処女の泉」を撮り、日本で公開された順番が逆になったが、これもキネ旬ベスト・テン1位となり、日本でも巨匠の地位を確保した。またアカデミー賞では70年度アーヴィング・タルバーグ賞を贈られている。【神の沈黙に挑み続ける】常に神と人間との対立構造をえぐってきたベルイマンだが、所謂〈神の沈黙〉3部作=「鏡の中にある如く」(61)、「冬の光」「沈黙」(63)で、いずれも神に愛と真実を乞う人々の苦しみを描いた。続く「仮面・ペルソナ」(66)は、言葉を失った女優と介護する看護婦との関係を描く。73年の「叫びとささやき」は、死に瀕した娘と彼女の姉と妹がそれぞれの想いを抱きながら織りなす葛藤を赤裸々に描いた問題作。長編テレビシリーズを短縮して劇場公開した「ある結婚の風景」(74)では、夫と妻二人だけのダイアローグのぶつけあいを描いて、結婚とは何かを探る。精神分析医を通して幼児体験や罪の意識を問う「鏡の中の女」(76)、イングリッド・バーグマン扮する母親と娘との心理的葛藤を描く「秋のソナタ」(78)、そして集大成とも言える「ファニーとアレキサンデル」(82)を完成させると、以降は舞台監督に専念するとして映画監督業からの引退を宣言する。そして21年後、85歳のとき“最後の映画”「サラバンド」(03)を発表。これは「ある結婚の風景」の後日談で、別れた妻が夫を訪ねることによって露呈される、極限の愛と憎悪を描き出す。まさにベルイマンの遺作に相応しいものであった。