【貴族出身で、デカダンスの美を追求】イタリアのミラノで、北イタリア有数の富裕なモドローネ公爵の第四子として生まれ、14世紀に建てられた城で育つ。甥のエリプランドも監督になり、「ロザリオの悲しみ」、「栄光への戦い」を撮っている。ミラノとコモの私立学校で学び、1926~28年は軍隊生活を送る。28年から舞台俳優、セット・デザイナーとなる。36年ココ・シャネルの紹介で、ジャン・ルノワール監督と知り合い、「ピクニック」、「どん底」の助監督を務め、イタリアで「トスカ」を撮ることになったので帰国した。43年、ジェームズ・M・ケインの小説を無断で映画化した「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で監督デビュー。アメリカの話を翻案して堕ちていく男女の道行きをサスペンスフルに演出。だが、イタリアの地方生活がみすぼらしく、困窮しているように描かれていたとの理由で検閲の許可が出ず、公開が禁じられた。45年にジャン・コクトー作の戯曲『恐るべき親たち』をローマで演出して以来、演劇やオペラ、バレエの演出も手がけている。二作目の「揺れる大地」(48)ではヴェルガの19世紀の劇をもとに、シチリアの人々を俳優として起用し、シチリア方言をそのまま使って、階級の違い、経済的要因による家族の崩壊を描いた。ロング・ショット、ロング・テイクが広範囲に動くカメラワークとあいまって家族の置かれた環境を効果的に描写し、ネオレアリスモの代表作の一つに数えられる。60年の「若者のすべて」もシチリア出身の家族を描く作品で、貧しいパランディ家の生活をアラン・ドロン扮するロッコを中心にして描いた。【耽美的様式美の華を咲かす】50年代中ごろから貴族という出自を自覚したかのように、「夏の嵐」(54)、「山猫」(63)など歴史の流れに上流階級の変遷を織り込み、退廃美に満ちた作品を撮るようになっていった。65年の「熊座の淡き星影」でヴェネチア映画祭サン・マルコ金獅子賞を受賞している。60年代末からドイツ三部作「地獄に堕ちた勇者ども」(69)、「ベニスに死す」(71)、「ルードウィヒ・神々の黄昏」(72)を製作。「地獄に堕ちた勇者ども」はクルップ財閥を思わせる財閥一族の落ちていくさまを、「ルードウィヒ」ではバイエルン王ルートヴィヒ2 世を描いている。「ベニスに死す」はヴェネチアが舞台だが、ドイツ人作家トーマス・マンの小説が基になっている。なお「ルードウィヒ」で題名役を演じたヘルムート・バーガーは、ヴィスコンティの実生活におけるパートナーであった。