【ニューハリウッドの王道に立つ屈指のヒットメーカー】アメリカ、オクラホマ州ダンカンの生まれ。両親ともに俳優で、自身も幼い頃から子役として活躍。その後、大ヒットしたテレビシリーズ『ハッピーデイズ』で人気が爆発し、ジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」(74)にも出演して若手俳優としての地位を確立した。しかし、製作・監督に興味を持っていたハワードは、“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンと、コーマン製作の低予算映画に出演する代わりに初監督作の製作資金を提供させるという取引を成立させた。こうして極端な低予算で製作されたアクション・コメディ「バニシングINTURBO」(77)はスマッシュ・ヒットとなった。何本かテレビ映画を演出して腕を磨いたのち、満を持して発表した「ラブINニューヨーク」(82)もヒット。続く「スプラッシュ」(84)も大ヒットとなったが、次の作品「コクーン」(85)で軽喜劇のみならず大作映画も扱える手腕の持ち主であることを証明し、第一線に躍り出ることとなった。その後も家庭喜劇「バックマン家の人々」(89)、エピック「遥かなる大地へ」(92)、実話をもとにした「アポロ13」(95)、サスペンス「身代金」(96)ほか、ジャンルに囚われることなく上質な娯楽作品を量産し続ける。01年の「ビューティフル・マインド」で念願のアカデミー作品賞を受賞した後も、監督・製作者として、精力的な活動を続けている。【オールド・ハリウッドの後継者】ニューハリウッドの王道に立つハワードは当初、大学で映画作りを学ぼうとしたが、現場で学ぶことのほうが多いと思い直して退学し、ロジャー・コーマンの門を叩いた。このことからもわかるように、ハワードは自らのテーマや独自のスタイルに固執する監督ではなく、伝統的な手法でがっちりとした作品を作り上げるオールラウンド・プレイヤーである。コメディ、ファンタジー、西部劇、ファミリー・ピクチャー、舞台劇の映画化と、どんなジャンルの作品を手がけても一定の成果を出してしまうため、映画作家としての個性は?みにくいところがある。むしろスタジオ・システム全盛時代に大手映画スタジオと契約していたマイケル・カーティスやウィリアム・ワイラーのように、プロフェッショナルであることに誇りを持つ職人としての側面が強い。新聞記者もの「ザ・ペーパー」(94)、クリスマス映画「グリンチ」(00)、ボクシング映画「シンデレラマン」(05)ほか、オールド・ハリウッドの代表的ジャンルを意識的に手がけているように見えることからも、オールド・ハリウッドの伝統を受け継ぐ自らの立ち位置を、ある程度は自覚していると考えられる。弟であるクリント・ハワードがほとんどの作品に顔を出すのがトレード・マークで、娘のブライス・ダラス・ハワードも女優として活躍中。