【ネオレアリスモでイタリア映画を革新】イタリアの中部ラツィオ州ソーラの生まれ。ナポリで育ち、貧しい家計を助けるために幼い頃から働いた。22年に初舞台を踏み、翌年タチアナ・パヴロワの劇団に入り、20年代後期には女優で当時の妻のジュディッタ・リッソーネとともに自分の劇団を組織している。18年に映画に初出演、32年には人気も出てきて、マリオ・カメリーニ監督の「殿方は.吐き」に主演。カメリーニ監督とは37 年の「ナポリのそよ風」、55 年の「バストで勝負」でも組んでいる。30~40年代にはミュージック・ホールにも出演。40年から監督も手がけるようになり、最初はコメディを撮っていたが、5作目の「子供たちは見ている」(42)で子供の目を通して大人の世界を描写し、またこの作品から子役俳優との繊細な結びつきが映像に深みを与えるようになる。脚本陣の一人だったチェザーレ・ザヴァッティーニとは、その後も「靴みがき」(46)、「自転車泥棒」(48)といったネオレアリスモといわれる社会の現実を直視した作品で組み、ファンタスティックな「ミラノの奇蹟」(51)、孤独な老人の絶望を描く「ウンベルトD」(52)、米伊合作のメロドラマ「終着駅」(53)、第二次大戦をバックにした「ふたりの女」(60)や「ひまわり」(70)などで組んでいる。【艶笑コメディで人気を博す】「ウンベルトD」の興行的失敗で、軽いコメディに重点を移し、また俳優としてカメラの前に立つことも多くなり、ロベルト・ロッセリーニ監督の「ロベレ将軍」(59)を始め、「処女の生血」など多数に出演。ルイジ・コメンチーニ監督の53年作「パンと恋と夢」では警察署長を演じ、ジーナ・ロロブリジーダと共演。ヒットしたので翌年に続編“Pane, amore e gelosia”が作られ、再びロロブリジーダと共演した。55年の3作目「殿方ごろし」はソフィア・ローレンとの共演だった。「バストで勝負」ではローレンに加えてマルチェロ・マストロヤンニとのトリオで笑いを誘った。以後、ローレンとマストロヤンニを自分の監督作品にたびたび起用することになる。68年、最初の妻ジュディッタと離婚し、女優マリア・メルカデルと再婚するためにフランスの市民権を取得。メルカデルとの間に生まれた2人の息子のうちマニュエルは音楽家に、クリスチャンは俳優となった。ナチズムの影がユダヤ人に忍び寄る時代を描く「悲しみの青春」(70)では、マニュエルが音楽を担当している。