【フランス映画を代表する反骨の巨匠】フランス、パリに生まれる。父は高級家具師。家具実習学校に進学、職業技術学校の写真映画科で学んだのち、映画界に入る。ジョルジュ・ペリナールの撮影助手を務め、フランソワーズ・ロゼーに認められて彼女の推薦でジャック・フェデーの助監督になり、「外人部隊」、「ミモザ館」や、ルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」などにつく。また、この間の29年には映画雑誌『シネマガジーヌ』の懸賞批評に当選し、33年まで『シネモンド』『エプド・フィルム』などの雑誌の編集も担当した。36年、フランソワーズ・ロゼーの強い推薦により、ロゼー主演の「ジェニイの家」で長編監督デビュー。ナイトクラブを経営する母と、留学から戻ってきた娘を主人公に、同じ男を愛「天井棧敷の人々」してしまった母娘の葛藤を描く。この作品は、「夜の門」(46)までコンビを組んだ詩人・脚本家ジャック・プレヴェール(「北ホテル」は除く)のペシミスティックな運命論に満ち、詩的レアリスモと評された。続いて手がけた「北ホテル」(38)は、パリ市内に立つ北ホテルで心中未遂が起きるが2人とも生き残る。男は自首し、女はホテルで働くことになり、やがて客に心を惹かれてしまう……という物語。アナベラ、ジャン=ピエール・オーモン、ルイ・ジューヴェ、アルレッティら当時のフランス映画界を代表する俳優たちが出演した。「悪魔が夜来る」(42)は15 世紀が舞台、悪魔によって石に変えられた2 人の心臓はなお動き続ける。当時ナチに支配されながらも自由を謳う民衆の想いを描いた。【フランス映画史上の傑作「天井桟敷の人々」】1943年から44年にかけて非占領地区の南フランスで作った3時間15分に及ぶ大作「天井棧敷の人々」(45) は、19世紀パリの歓楽街を舞台に、そこに渦巻く様々な人生模様をドラマティックに描いた作品。カルネの代表作のみならず、フランスという国の意地を見せた秀作となった。「港のマリー」(49)では若い娘に振り回される中年男をジャン・ギャバンが好演、「愛人ジュリエット」(50)は現実と夢の世界との交流を描き、「嘆きのテレーズ」(53)ではリヨンで商売を営むヒロインと、病弱な夫、頑健な運転手との三角関係からの悲劇を冷徹な眼で描いた。キネ旬ベスト・テン第1位。以降、「われら巴里っ子」(54)、「危険な曲り角」(58)、「広場」(60)、「マンハッタンの哀愁」(65)、「若い狼たち」(68)などを撮るが、一時期の勢いは無くなり、晩年作品は日本未公開のものが多い。