美術商の父の関係で1939年に渡米。女優志望だった母親により1942年にユニヴァーサル映画“There's One Born Every Minute”の端役で出演。翌年にはMGMの「家路」に大役で出演し職業俳優人生をスタートさせる。少女スターとして「緑園の天使」(1944)、「若草物語」(1949)などで活躍、1950年には、“Conspirator”で初の人妻役に挑戦。「陽のあたる場所」「ジャイアンツ」(1956)などに出演、子役からの脱却を図る。1960年に「バタフィールド8」でアカデミー主演女優賞を初受賞。以後も私生活のスキャンダルを元ともしない活躍を続け、「クレオパトラ」(1963)「予期せぬ出来事」(1964)「いそしぎ」(1965)「バージニア・ウルフなんかこわくない」(1966・2度目のアカデミー主演女優賞受賞)「じゃじゃ馬ならし」(1967)などに主演する。70年代は低迷するも、1981年には“The Little Foxes”でブロードウェイに進出して成功を納め、映画スターから舞台女優への転進に成功した。愛称は「リズ(Liz)」。2011年3月23日死去。