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アーサー・ペン

  • Arthur Penn
  • 監督/脚本/製作
本名
出身地 アメリカ、ペンシルヴェニア州フィラデルフィア
生年月日 1922年9月27日
没年月日

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略歴

【アメリカ映画の流れを変えたニューシネマの旗手】アメリカ、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアの生まれ。両親が離婚したため母に連れられてニューハンプシャーに移る。ハイスクール入学後、フィラデルフィアの父のもとに帰り、オルニー・ハイスクールを卒業。地元の劇団に入り、ラジオ・ドラマにも出演する。1943年に陸軍に入隊、サウス・カロライナのフォート・ジャクスンで素人劇団を組織。その後ヨーロッパ戦線に派遣されて慰問劇団に加わる。そして終戦。しばらくイタリアの地方劇団に入った後、帰国。アッシュヴィルの大学で演劇を学び、再びイタリアへ渡り、ペルージャ、フィレンツェの大学に籍をおいた。53年に帰国し、NBCテレビに入り演出を担当する。フレッド・コウの招きでニューヨークに行き、数々のテレビ番組を手がけ、58年、「左きゝの拳銃」で監督デビュー。ポール・ニューマン主演でビリー・ザ・キッドの最期を迫力あるタッチで描いた。しかし興行的には失敗したため映画からは遠ざかる。その間、ブロードウェイに進出、60年、ウィリアム・ギブソンの『奇跡の人』を演出、大ヒットさせる。その映画化作品も監督、緊迫した演出は大評判を呼び、主演のアン・バンクロフト、パティ・デュークはそれぞれアカデミー賞の主演女優賞、助演女優賞を受賞した。続く「逃亡地帯」(66)はアメリカの地方都市を舞台に、地元出身の死刑囚が脱獄したことから起きるパニックを保安官の目を通して描いた社会派ドラマの傑作だった。【アメリカ史にこだわり続ける】67年、アメリカン・ニューシネマの先駆けとなった傑作「俺たちに明日はない」を撮る。1930年代、大恐慌が尾を引く時代を背景に、派手に暴れまわった男女の強盗を描いたクライム・ロマン。現代のアメリカ人の底に蠢く心情を的確につかみ取り、それをケレン味のない演出で表現。この作品でペンは一躍、アメリカ映画界のヒーローとなる。続いて現代の吟遊詩人アーロ・ガスリーが自らの青春と彷徨を演じるほろ苦いドラマ「アリスのレストラン」(69)、121歳の男が過去を振り返る新しい西部史劇「小さな巨人」(70)を発表、新しい視点で“事実”として描かれる歴史に新鮮な感動を与えた。続いてジーン・ハックマンの私立探偵もの「ナイトムーブス」(75)、マーロン・ブランドとジャック・ニコルソンの共演による異色の西部劇「ミズーリ・ブレイク」(76)を発表。「フォーフレンズ― 4つの青春」(81)ではユーゴからやって来た移民の15年に渡る愛と友情が描かれ、「ターゲット」(86)ではヨーロッパ滞在中に行方不明となった妻を捜すためのトラブルを描写。そして「冬の嵐」(87)は、メアリー・スティーンバージェンが一人3役を演じるサスペンス。いずれも多彩なジャンルながら、アメリカ人の持つピューリタニズムにこだわり続けた作家である。以後は主に活動の場をテレビに移している。

キネマ旬報の記事

2010年11月下旬号

追悼 アーサー・ペン監督:アーサー・ペン監督とその功績

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1982年5月下旬号

特集 フォー・フレンズ:アーサー・ペンの軌跡

1971年9月上旬号

特別グラビア:小さな巨人/アーサー・ペン

特別座談会 「小さな巨人」でアーサー・ペンが描く新しい視点のアメリカ論:山田宏一×沢田幸弘×渡辺武信×佐和誠

1971年8月上旬号

巻頭寄稿:ロスト・ソウルのアメリカで見たフェリーニやアーサー・ペン

1969年2月上旬決算特別号

ベスト・テン発表特別グラビア:外国映画監督賞 アーサー・ペン