ローマの映画実験センターで映画製作を学んだ後、プロデューサーとなり「にがい米」(1948)「道」(1954)「カリビアの夜」(1957)などの傑作を次々と生み出す。1949年には女優シルヴィーナ・マンガーノと結婚、4人の子供をもうけた。2番目の子供ラファエラもプロデューサーとして活躍している。1973年からアメリカに本拠を移し、「バラキ」(1972)「キング・コング」(1976)など数々の大ヒット作を生み出した。大作以外でもフェリーニ、ゴダール、シドニー・ルメット、デヴィッド・リンチなど個性的な監督をプロデュースしている。製作を手がけた映画の本数は600本以上。2010年11月11日死去。