ポーランド・ダンツィヒ生まれ。16歳でドイツ軍に入隊し、第二次大戦に参加。終戦後にドイツで演劇を始める。48年に映画デビューし、マカロニ・ウェスタン全盛時には悪役として有名に。72年の「アギーレ/神の怒り」で演技派としての地位を確立し、この作品で組んだヴェルナー・ヘルツォーク監督とは対立を繰り返しながら、以後も「ノスフェラトゥ」(79)、「フィツカラルド」(82)などの問題作を作り続けた。最初の妻との間には生まれた娘は、「テス」(79)、「パリ、テキサス」(84)などの女優ナスターシャ・キンスキー。二人目の妻との間に生まれたニコライ・キンスキーとは「パガニーニ」(89)で共演している。