【香港返還後も独自の映像美学を貫き通すオンリーワン】中国、上海の生まれ。5歳の時に香港に移住し、香港理工学院に進学してグラフィック・デザインを学ぶ。テレビ界で脚本家・助監督として活動したのち、1982年に脚本家として映画界入り。88年の「いますぐ抱きしめたい」で監督デビューを果たし、香港ノワールというジャンル映画に新鮮な映像美学を開花させた同作は、カンヌ映画祭の批評家週間でも上映された。90年の「欲望の翼」では60年代の香港を詩情豊かに描き、香港電影金像奬でグランプリ・監督賞を含む5部門を受賞、国際的な評価も得る。続いて92年に異色武侠映画「楽園の瑕」の製作に入るが幾度となく撮影が中断され、94年にようやく完成。一部に称賛されるも興行的には惨敗した。その「楽園の瑕」の仕上げ作業の間に撮り上げた「恋する惑星」(94)は日本でも大ヒット。姉妹篇「天使の涙」(95)では、前作から連続登板の金城武をスターダムに押し上げた。香港返還前最後の作品「ブエノスアイレス」(97)では、アルゼンチンに流れ着いたふたりの男同士の愛と葛藤を描き、カンヌ映画祭監督賞を受賞。名実ともに巨匠の領域に。00年の「花様年華」は「『欲望の翼』の続篇とみなすことも可能」とカーウァイ自身語っているが、同じく60年代を舞台に既婚男女のやるせない愛を描き、トニー・レオンにアジア人初のカンヌ映画祭主演男優賞をもたらした。日本では木村拓哉の出演が話題となった「2046」(04)は、過去にとらわれた作家が現在と未来を行き来する集大成的ラブストーリーである。次なる一手が、初の英語作品「マイ・ブルーベリー・ナイツ」(07)。長編映画のほかにも、BMW社のショート・フィルムや、DJ ShadowのPV、オムニバス映画「愛の神、エロス」(04)の一編を手がけるなど、その活動は多岐にわたる。【即興演出と独特の映像世界】香港ニューウェーヴの第二世代に位置し、香港返還後は拠点を海外に移す監督も目立つなか、ペースを崩さず我が道を突き進む異才。現場でたびたび台詞に変更を加える即興的演出で知られ、大幅に延びる撮影のため、出演者ですら完成までは概要がわからないことも多々あるという。2年がかりで完成した「楽園の瑕」は、大量の未使用フィルムを用いた再編集バージョンが08年のカンヌでお披露目され、好評を博した。映像面では、美術・衣裳・編集などを担ってきたウィリアム・チョンと、「欲望の翼」以降、撮影監督をつとめるクリストファー・ドイルと共同で、独特の世界を形成。浮遊しつつ疾走する手持ちカメラは自在に時空を飛び越え、時間や記憶、距離などカーウァイ好みのモチーフを巧みに映像に変換する。しかし、香港返還後最初の作品「花様年華」ではフィックス撮影が増え、画作りにも微妙な変化が見られた。完成まで5年を要した「2046」を挟んで「マイ・ブルーベリー・ナイツ」をアメリカで撮影したが、ブルース・リーの師匠をトニー・レオンが演じる企画も浮上、これをいわゆるハリウッド進出と捉えるのは早計だろう。