【娯楽活劇の中で人間存在を問い続ける魂のカツドウ屋】千葉県東金市の生まれ。東京大学文学部在学中は倉本聰らとギリシア悲劇研究会を創設して、映画・演劇に熱中。卒業後の1959年に東映に入社し、マキノ雅弘、沢島忠、田坂具隆、今井正らに師事した。64年、山田風太郎原作の「くノ一忍法」で監督デビュー。同作は倉本聰と共同で脚色した時代劇で、ギリシア劇ふうの様式美のセットで奇想天外な忍者合戦を映像化してみせた。以後、多種多様なジャンルの娯楽作を次々と手がけていくが、最初に注目を集めたのは戦後派チンピラのぶざまな挫折を活写した「893愚連隊」(66)。ここに存在する青春の悲劇を見つめる乾いた視点は、特攻隊員の青春を描いた「あゝ同期の桜」(67)などにもわかりやすく通底し、のちの反美学的なズッコケやくざ精神の笑劇「まむしの兄弟」シリーズ(71~75)や「現代やくざ・血桜三兄弟」(71)などにも一貫して流れている。ほかに北島三郎・鶴田浩二主演の「兄弟仁義・関東兄弟分」(67)、日本近代百年のテロリストをオムニバスで描いた大作「日本暗殺秘録」(69)、菅原文太主演の「木枯し紋次郎」2部作(72)なども、この時期の代表作として記憶に残る。【深作欣二と並ぶ東映のエースに】73年にはATGで、自分の命と引き換えに一時の快楽と虚栄を買い取ったチンピラやくざを描く「鉄砲玉の美学」を渡瀬恒彦の主演で撮ったが、やはり東映調の枠を出なかった。むしろ、深作欣二と並ぶ東映のエース的存在として、「安藤組外伝・人斬り舎弟」「脱獄広島殺人囚」(74)、「暴動島根刑務所」(75)、「沖縄やくざ戦争」(76)などひたすら撮り続けた実録路線のプログラムピクチャーのほうにこそ旺盛な反逆精神や内面の飢餓感が垣間見られ、カツドウ屋の気概が感じられた。77年に始まる「日本の首領」3部作は大ヒットとなって東映の屋台骨を支え、三船プロで撮った西村寿行原作のアクション「犬笛」(78)、時代劇大作「真田幸村の謀略」(79)、文芸ドラマ「やくざ戦争・日本の首領(ドン)」「序の舞」(84)、長い間シナリオのまま“幻の企画”となっていたものを執念で実現させた「瀬降り物語」(85)など、エネルギッシュな創作活動は止まなかった。90年代に入っても「女帝・春日局」(90)、ヒットシリーズ中の「新・極道の妻たち」(91)、「首領を殺った男」(94)など東映のエースとしての活躍は続いたが、劇場映画の演出は98年の「極道の妻たち・決着」が最後となり、近年は京都を拠点に映画祭プロデューサー、テレビの映画紹介番組のホスト、執筆活動などを行っている。