東京都品川区の生まれ。本名・下沢広之。幼少の頃から劇団ひまわりに所属し、5歳の時に千葉真一主演の「浪曲子守歌」66に本名で映画初出演。子役としていくつかの映画やドラマに出演しながら、千葉主宰のJAC(ジャパン・アクション・クラブ)でアクションを学ぶ。1978年、堀越高校在学中に深作欣二監督「柳生一族の陰謀」のオーディションに合格して、本格的に俳優としてデビュー。この時から、千葉に命名された“真田広之”の芸名を名乗る。SFブームに乗って東映が製作した深作監督「宇宙からのメッセージ」78にも続いて出演。ガバナス帝国に立ち向かう8人の勇士のひとり、シロー・ホンゴーを演じた。スピンオフ企画として作られたテレビ朝日『宇宙からのメッセージ・銀河大戦』78で、ドラマ初主演も飾る。その後も「真田幸村の謀略」「戦国自衛隊」79などに出演を重ね、初主演映画の「忍者武芸帳・百地三太夫」80では、千葉仕込みのダイナミックなアクションと甘いマスクでアイドル的な人気を獲得。翌81年には「吼えろ鉄拳」「冒険者カミカゼ」「燃える勇者」と次々に主演作が作られた。深作監督「魔界転生」81では、天草四郎役の沢田研二との男同士のキスシーンも話題になる。また、香港映画「龍の忍者」82にも主演するなど、早くから海外での活動も指向していた。ここまでアクションスターとして売り出してきた真田だが、82年の主演作「道頓堀川」は宮本輝原作の文芸映画で、松坂慶子とのラブシーンなど初めてアクション抜きの芝居に挑み、演技の幅を広げた。その後も「伊賀忍法帖」82、「伊賀野カバ丸」83などアクションものは続いたが、薬師丸ひろ子と共演した83年の「里見八犬伝」を境にアクション映画は減り、84年の和田誠監督「麻雀放浪記」で大きな転機を迎える。戦後の混乱期を生き抜くギャンブラーたちの姿を描いた本作で真田が演じたのは、凄腕の猛者に揉まれて成長してゆく青年・坊や哲。鹿賀丈史、高品格、加賀まりこといった芸達者なベテラン俳優たちに囲まれ一歩も引かぬ好演を見せ、役者としての評価を急速に高めていった。88年には、再び和田監督と組んだ「快盗ルビイ」でコメディ芝居にも挑戦。小泉今日子演じる怪盗の手伝いをさせられる気弱なマザコン会社員という、それまでのイメージを覆す役柄を見事に演じて、キネマ旬報賞、報知映画賞などの主演男優賞を多数受賞する。テレビドラマでも、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』87、TBS『坂本龍馬』89、フジテレビ『ニューヨーク恋物語』88、テレビ朝日『新吾十番勝負』90などで活躍し、室町幕府を開いた足利尊氏の生涯を描いたNHK大河ドラマ『太平記』91、女子高教師と女生徒の禁断の愛を描いた野島伸司脚本のTBS『高校教師』93などの主演ドラマも相次いで成功を収める。脂の乗り切ったこの時期は映画での快進撃もやはり続き、93年はいずれも滝田洋二郎監督と組んだ、アジアの小国のクーデターに巻き込まれた日本人商社マンの姿をシニカルに描いた「僕らはみんな生きている」、大沢在昌のベストセラーを映画化した刑事ドラマ「眠らない街・新宿鮫」の2本で再びキネマ旬報賞の主演男優賞を獲得。ブルーリボン賞、ヨコハマ映画祭でも主演男優賞に輝く。さらに95年は、篠田正浩監督「写楽」、岡本喜八監督「EAST MEETS WEST」、大森一樹監督「緊急呼出し/エマージェンシー・コール」の3本の映画に主演し、早くも3度目となるキネマ旬報賞主演男優賞のほか、報知映画賞、ブルーリボン賞など映画賞を独占する。テレビドラマの出演作はほかに、NHK『秀吉』96、『新・半七捕物帳』97、フジテレビ『こんな恋のはなし』97、『タブロイド』98、『非婚家族』01など。この間の90年に女優の手塚理美と結婚し、二男をもうけるが、97年に離婚した。99年、イギリスで上演された蜷川幸雄演出の舞台『リア王』に日本人唯一のキャストとして出演するなどして、国境を越えた活躍を続けるようになる。大きな転機となったのは山田洋次監督の時代劇「たそがれ清兵衛」02で、史上最多となる4度目のキネマ旬報賞主演男優賞など多数を受賞する高い評価を受け、作品が米アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされたことで、真田にも海外から注目が集まった。続いて、トム・クルーズ主演のハリウッド製時代劇「ラストサムライ」03に渡辺謙らとともに出演。以後は活動の拠点をハリウッドに移し、「サンシャイン2057」07、「スピードレーサー」08などのほか、陳凱歌監督の史劇「PROMISE」06、ジャッキー・チェン主演の「ラッシュアワー3」07では久々に本格アクションも披露し、日本を代表する国際派スターとして活躍している。