東京都豊島区の生まれ。中学生の時に「小さな恋のメロディ」のマーク・レスターが来日して主演する「卒業旅行」の相手役オーディションに応募。決勝で落選するが、素質を見込まれて芸能事務所に入る。1973年、家城巳代治監督の「恋は緑の風の中」の主役に抜擢され、大人が集まって一所懸命になる映画の世界が好きになる。同作は74年に公開され原田のヌード場面が話題となるが、印象的なのは周りを気遣う控え目な少女の清潔感だった。その後は藤田敏八・加藤彰共同監督「炎の肖像」74などに助演し、都立代々木高校を卒業。76年の増村保造監督「大地の子守唄」の主役に選ばれ、13歳で廓に売られた粗野な少女・りんの波瀾の人生を力演する。低予算の現場でも妥協しない増村監督の演出に接して演技への意欲が開花。同年には長谷川和彦監督のデビュー作「青春の殺人者」で水谷豊の恋人役を熱っぽく演じる。この2本で見せた狂おしいほどの若い野性味は衝撃的で、キネマ旬報賞主演女優賞ほか名だたる映画賞を受賞し、大型新進女優と遇される。その後は、日本テレビ『俺たちの朝』76~77などのテレビドラマや、鈴木則文監督「トラック野郎・突撃一番星」78、深作欣二監督「赤穂城断絶」78に出演しつつ、出たい映画は自分で作ろうと自主企画に着手。1本は79年にクランクインまでこぎつけるが、気象条件が合わない不運で断念する。同年、山本薩夫監督「あゝ野麦峠」では主役の大竹しのぶとは対照的な女工、工藤栄一監督「その後の仁義なき戦い」では三下やくざ(根津甚八)と恋に落ちる娘を好演した。女優として高い評価と人気を得るもセルフ・プロデュースの情熱は冷めず、80年、プロデューサー・脚本・主演をつとめた「ミスター・ミセス・ミス・ロンリー」を発表。「地獄」79で傾倒した神代辰巳監督に演出を依頼し、ほかの仕事をすべて断って取り組んだ野心作だった。以後もフジテレビ『北の国から』81、日本テレビ『顔』82などのテレビドラマ、神代監督「もどり川」83などに着実に出演。健康的な容姿に冴え冴えとした美しさが増し演技力も研ぎ澄まされた頃、黒澤明監督「乱」85のオーディションを受ける。演じるのを熱望したのは、戦国武将・一文字家の息子たちを虜にする楓の方。途中の製作中断で3年越しの撮影となったが、ゼロから出発し直す覚悟で眉を実際に剃って役に臨み、一族を滅ぼされた復讐を果たす戦国の女の冷徹と凄味を見せる。86年は、河合義隆監督「幕末青春グラフィティ/Ronin・坂本竜馬」で龍馬(武田鉄矢)の妻・お竜役、深作欣二監督「火宅の人」で主人公の無頼派作家(緒形拳)と出会う女優・恵子役など4本に出演。日本アカデミー賞最優秀助演女優賞などを得る。火の玉のような女を全力投球で演じる時に強烈な個性と色香を発散するタイプだったが、実相寺昭雄監督の異色SF「帝都物語」88、栗山富夫監督の喜劇「釣りバカ日誌2」89と次第に幅が広がり、雪女を演じた黒澤明監督「夢」90、熊井啓監督「式部物語」90、山田洋次監督「息子」91と大家の作品で重要な役を続けて、実力派女優の評価を不動のものにする。87年にロックバンド“ARB”のヴォーカル・石橋凌と結婚。3児の母となった96年には、東陽一監督「絵の中のぼくの村」の母親役でキネマ旬報賞など主要な主演女優賞を多数獲得。子供が相手の自然体の演技にしなやかな魅力を見せ、ステップアップを遂げる。98年、平山秀幸監督「愛を乞うひと」に主演。愛し方がわからず娘・照恵を虐待する母・豊子と、長じて母となった照恵の二役に扮する。豊子の場面を撮っている間は情を絶つため、実子と離れてホテルから現場に通ったという。極めて難易度の高い役だったが、女性の中に棲む鬼と菩薩それぞれの渇望を演じ切り、再び主要映画賞の主演女優賞を総なめに。その後も奥村正彦監督「虹の岬」99、篠原哲雄監督「はつ恋」00など充実した作品が続き、02年は松井久子監督「折り梅」で認知症の姑(吉行和子)を介護する主婦、平山秀幸監督「OUT」の裏稼業に手を染める主婦グループのリーダーと、対照的な役柄を好演。以降も佐々部清監督「半落ち」04、黒土三男監督「蝉しぐれ」05、前田哲監督「ブタがいた教室」08、深川栄洋監督「60歳のラブレター」09などに出演した。テレビドラマの近作に、TBS『あいくるしい』05、『華麗なる一族』07、『新参者』10、NHK『ハチロー・母の詩、父の詩』05、『坂の上の雲』09~11、フジテレビ『流れ星』10、『幸せになろうよ』11などがある。美貌と挑みかかるような熱演で見る者を圧倒した時期を経て、近年の妻役や母親役で静かに醸し出す慈愛の深さは、デビュー作で無心に演じた心優しい少女の笑顔と重なり合う。