神奈川県横浜市の生まれ。本名・中村正昭。県立神奈川工業高校を卒業後、東芝神奈川工場に勤務したが演劇への関心を捨てきれず退社。1949年に新協劇団に入団して、『つばくろ』で初舞台を踏む。続いて『女の一生』『死んだ海』『デッド・エンド』などに出演するが、劇団の内部分裂で脱退し、54年に岡田英次、西村晃らと劇団青俳を結成。第1回公演『フォスター大佐は告白する』ではマッカレン中尉を演じた。以後25年間、青俳の幹部俳優として、舞台・映画・テレビで活躍し、青俳の解散後はフリーとなる。映画初出演は52年の今井正監督「山びこ学校」で、その後、「美わしき歳月」55、「真昼の暗黒」56、「あゝ声なき友」72、「仁義なき戦い・完結篇」74、「未完の対局」82、「釣りバカ日誌6」93など多数に脇役出演。市井の人から政財界の大立者、やくざの親分まで芸域は幅広く、鋭いリアリズムの芝居で存在感を発揮してきた。テレビドラマもNHK『ビルマの竪琴』55の水島上等兵役で初出演以降、NHK大河ドラマ『新・平家物語』72、『徳川家康』83、『独眼竜政宗』87、『秀吉』96などから、TBS『3年B組金八先生』99、『ROOKIES』08、日本テレビ『レッツ・ゴー!永田町』01、NHK『ジイジ2・孫といた夏』05など現代劇でも多彩な役柄をこなし、近作のフジテレビ『それでも、生きてゆく』11に至るまで総出演本数は約2000本を数える。映画も「私は貝になりたい」08の松田老人、「書道ガールズ!!・わたしたちの甲子園」10の祖父役など、味わい深い演技で人間ドラマに厚みを与える貴重な名脇役として、近年も活躍を続けている。2019年3月18日、老衰の為に入院先の栃木県那須塩原市の病院にて逝去。享年92歳。