【困難な題材にじっくり取り組む寡作の作家】群馬県前橋市生まれ。高校時代にアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」を見て影響を受ける。早稲田大学在学中、サークルの先輩でもあった大和屋竺監督の撮影現場に初めて参加。卒業後、馬場当のもとでシナリオ修行をした後、フリーの助監督として、篠田正浩「心中天網島」、浦山桐郎「青春の門」、大林宣彦「HOUSE/ハウス」などについた。80年、プロデューサーの木村元保に宮本輝原作の「泥の河」を企画提出し、これが採用され劇場映画デビューを果たす。81年に自主上映を経てメジャー配給により全国公開された「泥の河」は、戦後の大阪を舞台に、汚い泥水の流れる運河の脇に暮らす貧しい人々の生活をモノクロームの映像で描いた秀作で、日本映画監督協会新人奨励賞を受賞したのを皮切りに、キネマ旬報ベスト・テン第1位、監督賞、日本アカデミー賞最優秀監督賞など数多くの賞を獲得。80年代早々にデビューした期待の新人監督の筆頭として注目された。続く84年には李恢成の原作による、在日朝鮮人の青年と、日本人であるが朝鮮人と日本人の夫婦の養女として育てられた少女との恋愛を描いた「伽?子のために」を発表。第3作「死の棘」(90)は島尾敏雄の私小説が原作で、作家である夫の不倫を知った妻が発狂するというショッキングな物語を端整な映像に収めた作品で、カンヌ映画祭で審査員特別グランプリと国際批評家連盟賞を受賞したほか、内外で多くの賞を受賞。主演の夫婦を演じた松坂慶子と岸部一徳の演技にも高い評価がなされた。以上3作はいずれも1950年代の日本を舞台にしたもので、小栗が幼少期を過ごした戦後の日本人の心象風景を見事に描いた3部作ともなった。【底流に流れる哲学的なテーマ】96年には初のオリジナル作品となる「眠る男」を発表。ある地方集落に暮らす人々の営みを神の視点にも似た客観性をもって見つめた人間ドラマで、地方自治体として初めて群馬県が全額出資したことでも話題になった。近年の“地方発ムービー”の先駆とも言える。「埋もれ木」(05)も、三重県鈴鹿市にスタッフ、キャストが合宿して製作した。メジャーからは地味と見做される困難な題材を、自らの作家性を失わずに様々な企業や自治体から資金を集めて製作する方法ゆえか、デビュー作から近作「埋もれ木」まで、20数年間で5本と、監督作品数は少ない。少ないながらに題材は作品ごとに多様ではあるが、静謐な映像の中に、民族の問題や自然と文明との対話といった広く哲学的とも言えるテーマが底流を流れる作風は一環しており、独特のスタイルを確立している。「死の棘」の他にも、「泥の河」でモスクワ映画祭銀賞、「伽?子のために」でフランスのジョルジュ・サドゥール賞を日本人として初受賞。「眠る男」でモントリオール映画祭審査員特別大賞とベルリン映画祭国際芸術映画連盟賞をともに受賞するなど、海外での評価も高い。