東京都神田区小川町(現・千代田区神田小川町)で生まれ、新宿区神楽坂で育つ。本名・加賀雅子。父・四郎は大映のプロデューサー。明星学園高校在学中から六本木界隈を遊び場所にするようになり、いわゆる“六本木族”の元祖的存在となる。17歳の時に寺山修司と篠田正浩にスカウトされ、1960年のフジテレビのドラマ『東京タワーは知っている』で女優デビュー。TBS『四十八歳の抵抗』62のヒロイン役や『潮騒』62の主演を経て、篠田監督「涙を、獅子のたて髪に」62で映画デビューを果たす。同年に松竹と専属契約を結び、翌63年は木下惠介監督「死闘の伝説」のほか、「危い橋は渡りたい」「つむじ風」「独立美人隊」に出演。64年公開の篠田の「乾いた花」では、賭場に出入りする謎めいた少女役で池部良、藤木孝と共演。初の他社作品でもある日活の中平康監督「月曜日のユカ」64で演じたコケティッシュなヒロイン像は、世代を超えた人気となった。ほか「にっぽんぱらだいす」64、「大根と人参」「雪国」「悦楽」「美しさと哀しみと」65に出演。実生活でも強気で奔放な言動で異彩を放ち、“小悪魔”のイメージが定着する。また64年4月末から突然パリへ遊学。約3カ月間の滞在中にデザイナーのイヴ・サンローランやフランソワ・トリュフォー監督とも交友した。65年6月、日生劇場の劇団四季公演『オンディーヌ』で初舞台。主人公の水の精・オンディーヌを演じ、劇団四季の客員となる。同公演は8月に再演されるほどの大好評を博し、女優としての自信を得た。翌66年1月に正式な劇団員になり『間奏曲』67などに出演するが、同年暮れには再び客演に戻っている。映画では黒木和雄監督の異色作「とべない沈黙」66で、蝶の化身を含む一人六役を演じ分け、鮮烈な印象を残した。以後も「男なら振りむくな」「濡れた逢いびき」67、「豹は走った」70、「喜劇・大泥棒」「旅路・おふくろさんより」「喜劇・命のお値段」71に出演。私生活では72年2月に未婚のまま出産するも、その子が約7時間後に死亡。同年、「初めての愛」の予備校生と恋に落ちる年上女性役で復帰する。ほか「白鳥の歌なんか聞こえない」「にっぽん三銃士・おさらば東京の巻」「昭和極道史」「日蔭者」72、「ゴキブリ刑事」73に出演。73年6月には睡眠薬の飲み過ぎにより意識不明となり、マスコミを騒がせた。以後も「金閣寺」76、「八甲田山」「江戸川乱歩の陰獣」77などに助演。また74年2月にはディレクターの高田明侑と結婚するが、80年3月に離婚した。80年には黒木和雄監督「夕暮まで」で桃井かおりの友人役を演じ、ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。翌81年には小栗康平監督「泥の河」で、ふたりの子供のために川べりの小舟で体を売る女性を演じるほか、東陽一監督「ラブレター」、鈴木清順監督「陽炎座」に出演し、キネマ旬報賞助演女優賞に輝いた。82年には藤田敏八監督「ダイアモンドは傷つかない」や深作欣二監督「道頓堀川」などで助演。以後も「もどり川」83、「愛情物語」84、「時代屋の女房2」85、「沙耶のいる透視図」86、「恋人たちの時刻」「ちょうちん」87などに助演。和田誠監督「麻雀放浪記」84での真田広之演じる主人公に麻雀を教えるカジノのママ役や、長部日出雄監督「夢の祭り」89の津軽三味線競争に挑む主人公(柴田恭兵)の窮地を救う女・ゆきなど、脇役でも存在感を存分に発揮する。ほか「優駿」「青い山脈'88」88、「右曲がりのダンディー」89、「飛ぶ夢をしばらく見ない」90などに出演。90年にフジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオ』の司会をつとめてから、バラエティ番組でも活躍。歯に衣着せぬ率直な発言と往年の大女優のイメージを逆手にとったキャラクターがお茶の間でも人気となる。映画出演は年1本ペースで、松岡錠司監督「きらきらひかる」92、岩井俊二監督「Love Letter」95などのほか、「新・極道の妻たち/覚悟しいや」93、「やくざ道入門」94などに助演。2005年のTBS『花より男子(だんご)』と08年公開の劇場版「花より男子F(ファイナル)」での松本潤の母役など、最近は個性の強い母親役を演じることが多い。ほか近作に「タナカヒロシのすべて」05、「ジャイブ・海風に吹かれて」09、「スープ・オペラ」10、「洋菓子店コアンドル」11、11年夏公開予定の「神様のカルテ」などがある。テレビドラマはほかに、NHK『毛利元就』97、『私の青空』00、『利家とまつ・加賀百万石物語』02、TBS『Around 40/注文の多いオンナたち』08、テレビ朝日『君の手がささやいている』97~01など。