【堅実な演出手腕とクールなタッチが光る最後の撮影所世代】東京都の生まれ。1974年、早稲田大学第一文学部を卒業後、日活に入社。藤田敏八、曾根中生に師事し、78年に日活ロマンポルノ「オリオンの殺意より・情事の方程式」で、27歳という若さで監督デビューを果たす。以後、ポルノ作品をコンスタントに手がけ、撮影所で鍛えられた堅実な演出手腕が評価されていった。81年の「狂った果実」がロマンポルノにおける代表作。続いてATG配給の「遠雷」で一般映画にも進出し、地方都市で暮らす若者たちの情熱と倦怠を乾いたタッチで描いた本作で、根岸は芸術選奨新人賞を受賞するなど一躍脚光を浴びた。翌82年には再びロマンポルノに戻って「キャバレー日記」を発表。これも青春期の終わりを綴った佳作となったが、結局この作品を最後に日活を離れ、長谷川和彦を中心に若手監督の製作集団として旗揚げされたディレクターズ・カンパニーの設立に参加する。以降はハートウォーミングな青春コメディ「俺っちのウエディング」(83)、薬師丸ひろ子・松田優作主演の角川映画「探偵物語」(83)、渡辺淳一原作のメロドラマ「ひとひらの雪」(85)、森田芳光脚本による離婚家庭のホームドラマ「ウホッホ探険隊」(86)、中途半端な男の倦怠感をクールに描いた青春映画「永遠の1/2」(87)と、メジャー作品を手がける中堅監督としての地位を確実にしていった。【不遇の時代を抜けて見事復活】しかし、80年代の終わり頃から根岸を取り巻く環境に変化が訪れる。ひとつは期待された「ウホッホ探険隊」が予想外に興行的に不振だったことによる演出オファーの激減。もうひとつは根岸にとっても重要な製作拠点だったディレカンの経営危機から倒産へと至る騒動であった。会社存続のために最後まで尽力した根岸は、それゆえに自身の演出機会を失い、5年の空白期間を経て手がけた新作「課長・島耕作」は、皮肉にもディレカンが倒産した92年にようやく監督の機会が訪れた作品だった。その後も根岸は寡作家となり、翌93年の中編「乳房」のあとは再び5年空いてサスペンス大作の「絆」(98)、さらに6年後に「透光の樹」(04)というゆっくりしたペースで作品を発表していった。そんな根岸が本格的に復調を果たしたのは、2005年に製作した「雪に願うこと」が東京国際映画祭でグランプリ、監督賞など史上初の4冠に輝き、翌06年に劇場公開されると評論家からも高い評価を受けたことからだった。07年の「サイドカーに犬」も好評を博し、80年代に一世を風靡しながら不遇の90年代を送った根岸は、ようやく充実した円熟期を迎えようとしている。