東京都目黒区の生まれ。本名・泉谷茂。都立目黒高校を中退後、漫画家を志しながら京浜工業地帯で肉体労働に従事するが、仕事のかたわら続けていた歌が認められ、1971年にアルバム『泉谷しげる登場』で歌手デビューする。翌72年に発表した『春・夏・秋・冬』がヒットして脚光を浴び、フォークブームの全盛期を代表するシンガーソングライターのひとりに。78年、アマチュア時代の石井聰亙監督の8ミリ作品「突撃!博多愚連隊」に出演したのち、澤田幸弘・石井共同監督による日活「高校大パニック」で本格的に映画初出演を飾る。79年には「拳銃殺陣師・第一部死闘編」で監督・製作・脚本・音楽・撮影・美術の一人六役に加え、都会の片隅で暮らす主人公の探偵も自ら演じた。さらに同年、恩地日出夫が演出を手がけたテレビ朝日『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』で、実在の事件をモデルにした誘拐犯を演じて強烈な印象を与え、以後、ミュージシャンとしてだけでなく俳優としても認知されていく。80年、下層庶民の人間ドラマを描いた今村昌平監督「ええじゃないか」に主演したのを皮切りに、多数の映画で特異な個性を発揮。83年にはTBS『金曜日の妻たち』にレギュラー出演して知名度を全国に広げる。その後も映画、テレビドラマのさまざまな作品でスパイス的な幅広い役割を担い、頑固親父や犯罪者役を得意とする名バイプレイヤーとなっていった。また、持ち前の毒舌でバラエティ番組等のコメンテーターとして重宝される一方、近年は孫を溺愛するキャラも浸透し、広い世代から愛される。93年の北海道南西沖地震、95年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災といった災害時には、全国各地の路上で“一人でフォークゲリラ”と称したチャリティー・ライヴを展開し被災地救済を訴えている。