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藤田まこと

  • Makoto Fujita
  • 出演/音楽
本名 原田 真(まこと)
出身地 東京市豊島区(現・東京都豊島区)
生年月日 1933/03/13
没年月日 2010/02/17

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略歴

東京市豊島区(現・東京都豊島区)の生まれ。本名・原田眞。父は時代劇俳優の藤間林太郎で、子供の頃から子役として映画に顔を出していた。父の仕事の関係で、東京、大阪、京都を転々とし、1951年に京都市立堀川高校を学費が続かずに1年で中退。19歳で地方回りの劇団に入り、司会や歌、コントなどを担当する。23歳で歌う声帯模写を開業、流行歌手の物真似で一本立ちした。57年に地方回りをやめて、大阪・北野劇場の準専属コメディアンとなり、朝日放送の『ダイラケのびっくり捕物帖』57~60を皮切りにテレビに出演する。同局『スチャラカ社員』61~66で一躍人気者となり、主演した『てなもんや三度笠』62~70は大阪で60%、東京で50%の視聴率を獲得する国民的ヒット作になった。その傍ら、映画には60年代前半から顔を出していたが、63年にテレビ版をリメイクした東映「てなもんや三度笠」では引き続き主演。以降は、クレージー・キャッツ主演映画の客演や、多くの喜劇映画に出演を重ねる。ただ、それらは彼のユニークな馬面と関西弁を駆使したテンポのいい台詞回しを前面に押し出した、テレビのイメージの延長線上にある役が多かった。その中で注目されるのが、小林正樹監督「日本の青春」68である。ここでは学徒出陣して恐怖の体験をした男の戦後の半生をシリアスに演じて、俳優としての実力を見せつける。『てなもんや三度笠』の放送終了後、キャバレーでドサ回りをしたりと低迷した時期があったが、73年に朝日放送の『必殺仕置人』で同心・中村主水役に起用されて転機が訪れる。奉行所では“昼行灯”、家に帰れば“種無しかぼちゃ”と馬鹿にされながら、実は凄腕の殺し屋である主水のキャラクターは、若い頃から人生の裏と表を見てきた彼にとって一世一代のはまり役となった。『必殺』シリーズは以後も中断を挟んで92年3月まで続いたが、藤田が演じる主水はシリーズの顔として不動の人気を得る。さらに、88年からテレビ朝日の人情刑事ドラマ『はぐれ刑事純情派』では主役の安浦刑事を18年間に渡って演じ、98年から亡くなる年まで、池波正太郎原作のフジテレビ『剣客商売』では老剣客・秋山小兵衛を演じるなど、主水以外にも長い期間をかけて当たり役を次々に育てていった。また舞台でも、ミュージカル『その男ゾルバ』や、歌手・東海林太郎の生涯を演じた『東海林太郎物語・歌こそ我がいのち』など、何度も再演されたヒット作がある。基本の活動フィールドをテレビに置いていたため、70年代に『必殺』シリーズで人気が再燃してからも映画出演はそれほど多くないが、83年の齋藤光正監督「積木くずし」では非行に走る娘に苦悩する父親を好演したほか、計6本作られた『必殺』シリーズの劇場版ではテレビの世界観をさらにスケールアップさせて、仕事人・主水の多面的な人間性を披露するなど、その演技巧者ぶりはどの作品からもじゅうぶんに窺うことができる。さらに、晩年を代表する役となったのが、2008年の小泉堯史監督「明日への遺言」で演じた岡田資中将で、太平洋戦争中の米兵捕虜刺殺事件に関する戦犯裁判を描いたこの作品で、藤田はすべての最終的な責任を引き受けようとする岡田中将を誇りを持った軍人として、また包容力のあるひとりの人間として見事に演じた。同作でおおさかシネマフェスティバルの主演男優賞を受賞。しかし、08年4月に食道癌が見つかり、その後は入退院を繰り返したが、10年2月16日、大動脈瘤破裂によって76歳でこの世を去った。亡くなる前年、最後の『剣客商売スペシャル』を撮影中、藤田は同じ池波正太郎原作でも「『鬼平犯科帳』は嫌いだ」と語っていた。その理由は、主人公が権力側の人間だからだという。確かに、藤田の当たり役はどれも社会の底辺で生きる庶民ばかりだった。社会的に高い地位を演じても権力を振りかざすような役は少なく、俳優人生は常に大衆とともにある、それが俳優・藤田まことの基本姿勢だったと言える。2010年2月16日、逝去。享年76歳。

キネマ旬報の記事

2010年8月下旬号

映画人、逝く:藤田まこと、中村公彦

2010年4月上旬号

追悼:藤田まこと

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2008年3月上旬号

巻頭特集 「明日への遺言」:藤田まこと インタビュー

1996年6月上旬特別号

特集 必殺!主水死す:藤田まこと インタビュー

1983年9月下旬号

ザ・インタビュー:藤田まこと