福岡県福岡市の生まれ。福岡教育大学在学中に、高校の同級生だった中牟田俊男らとバンドを組んで音楽活動を始める。メンバーの交代などを経て、1971年、中牟田、千葉和臣と3人でフォークグループ“海援隊”を結成。グループ名は、高校時代に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで以来、坂本龍馬に心酔している武田の命名による。同年に上京し、翌72年のアルバム『海援隊がゆく』でプロデビュー。苦労をかけた母・イクへの感謝を込めた『母に捧げるバラード』73がヒットし、74年のNHK『紅白歌合戦』にも出場する。音楽活動が忙しくなったことで大学を中退し、同年に結婚もして、のちに二女をもうける。その後のセールスがふるわず低迷していた時期に、山田洋次監督「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」77の気のいい若者役に抜擢され、演技そのものが初めてながら、個性豊かな芝居で一躍注目される。このデビュー作でキネマ旬報賞、日本アカデミー賞などの助演男優賞を総なめにし、「男はつらいよ・寅次郎わが道をゆく」78、「遙かなる山の呼び声」80など、山田監督の作品に続けて起用された。その間の79年、小山内美江子脚本のTBS『3年B組金八先生』で主人公の中学校教師・坂本金八を演じ、ドラマ初主演。15歳の生徒たちが抱えるさまざまな問題をストレートに描き、その悩みや苛立ちを真正面から受け止める武田の熱血教師像は大いに視聴者の共感を呼んだ。俳優としてさらなるブレイクを果たし、海援隊で手がけた主題歌『贈る言葉』も大ヒット。中学生の妊娠というショッキングなテーマを扱った第1作に続き、翌80年には当時の社会問題だった校内暴力を主題に据えた第2シリーズが作られる。以後、断続的に続編、スペシャル版が放送される長寿シリーズとなり、2007年の第8シリーズのあと、11年の『3年B組金八先生ファイナル』まで、坂本金八は足掛け33年に及ぶ武田の最大の当たり役となった。映画はその後、「俺たちの交響楽」79、「思えば遠くへ来たもんだ」80、「俺とあいつの物語」81などの主演作を経て、82年に“片山蒼”のペンネームで自ら原作・脚本を手がけた渡辺祐介監督「刑事物語」に主演。胴長短足の冴えない風体だが実は中国拳法の使い手である人情派の刑事・片山元を好演し、木製ハンガーをヌンチャク代わりに操るアクションシーンが評判を呼んだ。好評を受けてシリーズ化された「刑事物語」は、相手役の新人女優を売り出す企画としても定着し、87年までに計5作が作られる。この82年には、長年の坂本龍馬への敬愛を研究の成果という形で結実させた日本テレビ『幕末青春グラフィティ・坂本竜馬』に原案・脚本を兼ねて主演し、86年にはテレビ版と同じ河合義隆監督による映画版「幕末青春グラフィティ/Ronin・坂本竜馬」へとスケールアップさせた。こちらでも武田は脚本を執筆。漫画『お~い!竜馬』86~96の原作も手がけるなど、この時期は龍馬への思いを前面に出す仕事が続いた。こうした愛嬌と信念を遮二無二前に押し出すキャラクターは好き嫌いが分かれてきたが、91年のフジテレビ『101回目のプロポーズ』では愚直に愛を捧げる中年男性を演じ、記録的な高視聴率も獲得して新生面を拓く。その後は、母への思いなどを綴った自伝がNHK『コラなんばしよっと』92~97としてドラマ化され、93年には自身が原作を手がけた同名コミックを映画化した杉村六郎監督「プロゴルファー織部金次郎」で、主人公の中年レッスンプロゴルファーを演じる。これも98年まで全5作が作られる人気シリーズとなり、2作目以降は自ら監督もつとめた。そのほかは、萩庭貞明監督「とられてたまるか!?」94、斎藤郁宏監督「青春ばかちん料理塾」03、君塚良一監督「MAKOTO」05など助演が主になるが、俳優業の中心はもっぱらテレビドラマで、前述『金八先生』シリーズのほか、TBS『教習所物語』99・00、『夫婦道』07・09などに主演。ほかの出演ドラマに、フジテレビ『並木家の人々』93、『バージンロード』97、テレビ朝日『プリズンホテル』99、NHK『麻婆豆腐の女房』03、『功名が辻』06などがある。近年は、TBS『白夜行』06、NHK『リミット・刑事の現場2』09の鬼刑事、フジテレビ『BOSS』09の犯人役などで凄みを見せ、TBS『JIN/仁』09の緒方洪庵、NHK大河ドラマ『龍馬伝』10の勝海舟など若者を見守る役でも風格を示す。解散、再結成を経ての“海援隊”として、あるいはソロ歌手としての音楽活動、バラエティ番組の司会やゲスト出演、執筆業、大学の講義などタレント活動も旺盛で、常に覇気にあふれた姿を披露している。