山梨県都留市の生まれ。本名・根津透。9歳の時に神奈川県川崎市に転居。日本大学第三高校在学中に文化祭で自作自演の『二人芝居』を上演して以来、演技の魅力にとりつかれ、1967年、獨協大学外国語学部フランス語学科に入学するとともに、演劇研究会に入会する。唐十郎の『特権的肉体論』に共鳴し、学内で唐作品を上演。69年9月に大学を中退して、唐主宰の劇団状況劇場に入団する。裏方を経て、70年の『ジョン・シルバー/愛の乞食篇』のセールスマン・田口役で俳優デビュー。以降は、その安定した演技に加え、状況劇場においては、それまで特異な二枚目を演じていた唐十郎に代わり、若き二枚目俳優としての地位を確保する。特に71年の『少女仮面』では、自ら人形を操りながら喀血して死んでいく腹話術師を好演。状況劇場の大半の作品においてシンボル的俳優として主演するとともに、のちに小林薫が台頭してきてもファンの圧倒的な人気を誇った。75年にはフジテレビ『娘たちの四季』で本格的にドラマ出演を果たし、76年のエランドール賞を受賞する。映画初出演は、75年の若松孝二監督「濡れた賽の目」だが、本格的には翌76年の唐の初監督作品「任俠外伝・玄海灘」で、半島帰りの安藤昇とともに朝鮮の女性を日本に運び、最後は自滅する若者を演じた。77年、TBS『冬の運動会』で脚本家・向田邦子と出会い、翌78年のNHK大河ドラマ『黄金の日日』で石川五右衛門役を一年間通して演じたことによって、演劇界の枠にとどまらない大衆的な人気を獲得する。79年2月、さらなる飛躍を期して状況劇場を退団。同年の工藤栄一監督「その後の仁義なき戦い」に主演し、宇崎竜童、松崎しげるとともに暴力組織の内部抗争で翻弄される若者を演じ、くまもと映画祭の日本映画男優賞を獲得する。次いで、黒澤明監督「影武者」80に出演。黒澤作品には引き続き、「乱」85でも仲代達矢演じる主人公の戦国武将・秀虎の次男という重要な役でキャスティングされるが、黒澤の厳しい演出にも耐えられる演技力を見せつけた。映画俳優としての根津がもっとも高く評価されたのは、82年の柳町光男監督「さらば愛しき大地」であろう。茨城県鹿島地方の工業団地化を背景に、農民からダンプカーの運転手に転向した男が、覚醒剤に手を染めて転落していく物語。柳町のリアリティあふれる描写の中で根津の演技は光り、この年のキネマ旬報賞主演男優賞、日本アカデミー賞優秀主演男優賞などを獲得、映画界での確固とした地位を築いた。87年、五社英雄監督「吉原炎上」で、再び日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。以後もコンスタントに映画出演は続くが、二枚目俳優としての継続は年齢的な問題も含め、次第に難しくなりつつあった。転機となったのは、93年に助演した石井隆監督「ヌードの夜」で、屈折した男女の愛情を描くことに長けた石井監督によって、女と腐れ縁の荒みきったやくざの男を好演。以後も「夜がまた来る」94でやくざの組員、実は潜入捜査官の男を演じて主演したほか、95年の「GONIN」では元刑事の男を存在感たっぷりに演じ、石井作品には欠くことのできない存在となる。同時に、屈折した役柄に挑戦することによって、俳優としての新機軸を打ち立てることにも成功した。その間、テレビドラマでも、NHK『獅子の時代』80、『もどり橋』88、『サザンスコール』94、『ほんまもん』01、『精霊流し・あなたを忘れない』02、TBS『甘く危険な香り』82、『若葉のころ』96、『いちばん大切な人』97、日本テレビ『誇りの報酬』85、『シンデレラは眠らない』00、フジテレビ『親戚たち』85、『誰かが彼女を愛してる』92、テレビ朝日『御宿かわせみ』88、『恋の奇跡』99、『婚外恋愛』02など多数で活躍を続ける。舞台からはしばらく遠ざかっていたが、87年に『FOOL FOR LOVE』で8年ぶりに復帰。以後も『デストラップ』92などに出演する。映画はその後も、「ゴト師株式会社」93~95、成瀬活雄監督「不機嫌な果実」97、市川準監督「たどんとちくわ」98、篠原哲雄監督「死者の学園祭」00などに出演し、円熟した演技を見せていたが、2002年頃から右目下直筋肥大という難病を患い、活動を縮小。リハビリに励む一方、飯田譲治監督「ドラゴンヘッド」03、三池崇史監督「許されざる者」03、奥田瑛二監督「るにん」04などで時折姿を見せた。しかし不運は重なり、04年に交通死亡事故を起こすと、その精神的打撃から活動を休止し、表舞台から姿を消す。09年にはうつ病や椎間板ヘルニアを患って療養生活を送っていることが報じられたが、10年9月、仁香夫人によって俳優業から引退すると発表された。2016年12月29日、東京都内の病院で逝去。享年69歳。