1934年に創作座に入団。翌35年、梅本重信作『温室村』でいきなり主役の女学生に抜擢されて初舞台。新協劇団、移動劇団・瑞穂劇団を経て、1947年7月、滝沢修、宇野重吉らによる民衆芸術劇場(第一次民芸)の結成に参加。翌48年3月に東宝の成瀬巳喜男監督「白い野獣」に映画初出演。この作品の公開が遅れたため、次に出演した松竹の木下恵介監督「破戒」がスクリーンデビューとなった。第一次民芸解散後、1950年12月に再建された劇団民芸(第二次民芸)にも参加、舞台・映画ともに老け役で高い評価を得る。1959年の今村昌平監督「にあんちゃん」では第四回サンフランシスコ国際映画祭で助演女優賞を受賞している。1989年に大動脈瘤で倒れるが、1991年の岡本喜八監督作「大誘拐/RAINBOW KIDS」で復帰、その演技が高く評価され、キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞ほか各賞を受賞した。2002年の小泉堯史監督作「阿弥陀堂だより」ではキネマ旬報ベスト・テン助演女優賞を受賞。舞台では脚色や演出も手がけた。78年に紫綬褒章受賞。2010年4月27日肺炎のため死去。