立命館大学時代に8ミリで映画作りを始める。監督第1作は「南無」(1959)。「石ッころ」(1960)がモンテカティーニ映画祭で金賞を受賞。16ミリ第1作「砂」(1963)がベルギー実験映画祭で特別賞を受賞するなど、日本の実験映画・個人映画の草分け的存在となる。1966年頃より消えゆく蒸気機関車をフィルムに収め、1970年の「すばらしい蒸気機関車」はヒットを記録した。1975年にATGと提携し「本陣殺人事件」(1975)「金閣寺」(1976)を監督、また独特の官能世界を描いた「蔵の中」(1981)「雪華葬刺し」(1982)を発表した。1986年の「魂遊び ほうこう」を最後に長らく沈黙していたが、2003年の「愛なくして」で17年振りに監督に復帰した。2012年7月15日、肺炎のため死去。