【端正な演出力で繊細に人間ドラマを綴る“中間の映画”職人】鹿児島県鹿児島市の生まれ。本名は俊弘。鹿児島ラサール高校から東京大学宗教学科に進学し、1976年に同校を卒業。折からの就職難で、入社試験の遅かった日活に滑り込んで助監督となり、武田一成、小沼勝、小原宏裕などロマンポルノ作品に就いたほか、根岸吉太郎や和泉聖治の一般映画進出作の助監督もつとめている。82年、都市部のキャリアウーマンの性的日常を描いた「犯され志願」で監督デビュー、ヨコハマ映画祭新人監督賞などでロマンポルノに新風を吹き込む監督として注目される。続けてさまざまなサブジャンルの成人映画を手がけ、にっかつ(当時表記)を離れるまでの3年間でロマンポルノ8本と児童映画1本を監督した。85年、ストリッパーと知的障害少年の交流を描く独立プロ作品「メイク・アップ」で一般映画に進出するが、配給の目処が立たず87年に単館公開、次作の「ボクの女に手を出すな」(85)が先に東映系で全国公開されることになる。その後は順調に監督作を重ね、90年、独立プロ集団の手で製作から興行までを統括するアルゴ・プロジェクトの1本として「櫻の園」を発表。キネマ旬報ベスト・ワンほか各方面の高評価を受け、中原の名を広く世に知らしめた。続く、三谷幸喜の戯曲原作「12人の優しい日本人」(91)も好評。OVに意欲をみせた90年代半ばに空白期があるものの、2000年代以降は手堅い小品と意欲作とを織り混ぜコンスタントに撮り続ける。10年にはロマンポルノ復活作「団地妻・昼下がりの情事」を担当。またテレビドラマの『桃尻娘』(86)も隠れた名品として評価が高い。【群像人間ドラマの名手】日活の同時代人には根岸、池田敏春、那須博之などがおり、いわゆる最後の撮影所世代にあたる。新興の独立プロや自主映画出身・異業種監督らによって映画界に新風が吹き込まれる80年代、中原も若手監督としてその一翼を担った。当時はまだ二本立興行が珍しくなく、撮影所で鍛えた職人の演出力を、主に添えもの的な小品に生かしている。90年代以降は作家性を押し出す一方、「カラフル」(00)、「コンセント」(01)、「魔法遣いに大切なこと」(08)など仮構度の高い物語でも時流に応じた。また日本映画全体が娯楽大作と個人映画ふうの小規模作品とに二極化していくなかで、中原はその中間に位置すべき大人向けの人間ドラマを練達の手腕で多く手がけた。作風においては、初期より“複数性”が指摘された。ロマンポルノでは姉妹ものやダブルヒロインが多く、以後も主に複数の人物の相関関係を軸にしてドラマを展開。その点で新旧「櫻の園」や「落語娘」(08)といった群像劇に一段と定評がある。また「LielieLie」(97)や「コキーユ」(99)など中高年が主人公の作品では、年齢設定を自身に近づけることで実感的な大人のドラマを熟成している。