1955年、早稲田大学文学部卒業後、出版社勤務を経て松浦健郎の下でシナリオを学ぶ。1958年、日活撮影所助監督部入社。鈴木清順、野村孝などの現場を経て、1965年監督に昇進。1966年「俺にさわると危ないぜ」で監督デビュー。以後、“日活ニュー・アクション”と呼ばれる「縄張りはもらった」(1968)「女番長 野良猫ロック」シリーズなどを次々と発表する。1980年、フリーとなり、TVドラマの演出も手がける。『大都会 PARTII~III』(1977-78)『西部警察』(1979-82)『あぶない刑事』シリーズ(1986-89)『静かなるドン』(1994)『相棒』(2000-08)など多数におよぶ。2009年3月には息子であるハセベバクシンオーの原作を映画化した、『相棒』シリーズのスピンオフ「鑑識・米沢守の事件簿」を発表。2009年6月14日、肺炎で死去。享年77歳。シナリオネームは藤井鷹史。