京都府京都市の生まれ。府立朱雀高校在学中の1961年、ミス着物コンクールに出場して準ミスに選ばれたことから、ファッションモデルなどの芸能活動を始める。高校卒業後の63年、五味川純平原作のNET(現・テレビ朝日)『孤独の賭け』で本格的に女優デビュー。ヒロインの小川真由美が復讐する叔父夫婦の娘にあたる従妹・乾美香役で、勝ち気で無鉄砲な関西弁の少女を好演する。64年からスタートした朝日放送の公開コメディ番組『ごろんぼ波止場』のレギュラーとなって上方の演芸人と共演し、芝居の面白さを知る。同じ64年、日活の鈴木清順監督「肉体の門」のボルネオ・マヤ役で映画初出演にして主演。田村泰次郎のベストセラー小説の2度目の映画化で、敗戦直後の娼婦を描く題材に日活専属の女優たちが出演を渋ったための抜擢だった。清順映画ならではの色彩設計で常に緑の服を着るマヤ役は鮮烈で、全裸やリンチの場面を体当たりで熱演して出世作とする。新人離れした女優魂を持ち、強い意志の眼差しがむせかえるような色気を放つ19歳はたちまち“新肉体派”と注目され、同年の間に松竹の時代劇「いも侍・蟹右衛門」、東映の忍者物「間諜」「くノ一忍法」、日活アクション「早射ちジョー・砂丘の決斗」と出演作が続いた。特に中島貞夫監督「くノ一忍法」での千姫役の美しさは「肉体の門」と並ぶ。フリーランスのため映画会社各社にオファーを受けたが、初期は日活作品が多く、特に鈴木清順監督の作品3本にメインキャストで出演。「春婦伝」65の若い兵士(川地民夫)を愛し抜く慰安婦、「悪太郎伝・悪い星の下でも」65の原作者・今東光の自画像的主人公(山内賢)を誘惑する娘、「河内カルメン」66の中年男に貢がせるキャバレーの踊り子と、時代設定が違う3本のどれもが肉体派的役柄で、しかし、それを上回る女の一途、奔放な自我の奔出を見せて、日活時代の清順映画を代表する女優となる。大島渚監督の松竹作品「悦楽」65でもバーのホステス役を演じる。こうした才人監督の意欲的な作品が高く評価されつつ、セクシャルな魅力をカラッと放つコケティッシュな個性は、肩肘を張らないタイプの娯楽映画においても伸び伸びと発揮されるようになる。「クレージーだよ奇想天外」66から加わった東宝の「クレージー」シリーズや「駅前」シリーズ、日活「牝猫」シリーズのほか、大映作品にも出演。森一生監督「あの試走車を狙え」「ある殺し屋」67、安田公義監督「座頭市果し状」68などは60年代後期の代表作。66年から69年までは年間平均10本以上の映画に出演し、テレビドラマも掛け持ちする超売れっ子女優だったが、関西テレビ『船場』67で出会った同局ディレクター・山像信夫(のちの演出家・逢坂勉)と71年に結婚。関西での活動中心に移る。好評を得た『夫婦善哉』72など舞台に継続して出る傍ら、ドラマではテレビ朝日『必殺仕掛人』72~73以来、初期『必殺』シリーズに続けて出演。第2作『必殺仕置人』73と第4作の『暗闇仕置人』74では仕置人の一員で姉御肌のスリ、鉄砲玉のおきん役が人気を呼ぶ。高橋英樹とコンビを組んだ日本テレビ『桃太郎侍』76~81の女軽業師・つばめ、里見浩太朗と共演した同局『長七郎江戸日記』83~89の瓦版屋の女主人・おれんと当たり役が続き、テレビ時代劇に欠かせぬ存在となる。深作欣二監督「仁義なき戦い・完結篇」74で久しぶりに映画に本格的に戻り、「北陸代理戦争」77の主人公のやくざ(松方弘樹)の愛人役で深作監督に再び起用される。あだっぽい魅力の集大成と言える熱演で東映実録やくざ路線の終焉に華を添え、京都市民映画祭の助演女優賞を得る。以降、松尾昭典監督「沖縄10年戦争」78、新城卓監督「オキナワの少年」83、伊藤俊也監督「花いちもんめ。」85などに断続的に出演。93年にはビデオ作品「弘高青春物語」で久しぶりに鈴木清順監督の現場に立つ。95年、NHKの公開バラエティ番組『お江戸でござる』がスタート。ほかの女優役と交代しながら座長・伊東四朗の女房役をつとめる準レギュラーとなり、長年の舞台出演で培った実力で人気番組に押し上げるのに貢献。変わらぬ華やかさと親しみやすさを広くアピールする。テレビドラマの出演はほかにも数多く、近年はフジテレビ『白い巨塔』03~04の病院長夫人役でベテランの迫力を印象づけた。深作欣二監督「おもちゃ」99、熊井啓監督「海は見ていた」02以降は映画出演が途絶えているものの、舞台『三婆』10やドラマ出演と旺盛な活動を続けている。